いよいよ公開『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』、撮影現場での田中圭の一挙手一投足を密着レポート!
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『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』 (C)2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会
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すべて見る1998年の長野冬季オリンピックで金メダルを獲得したスキージャンプ団体の日本代表チーム。その裏側で選手を支えたテストジャンパーたちの姿を描いた『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』が、新型コロナウイルスの影響による公開延期を経ていよいよ公開された。主人公、西方仁也を演じるのは田中圭。長野県白馬などで行われた撮影に密着した筆者が、現場での田中圭の姿をつぶさにレポートする。
窓辺のベンチに身体を休めて、タオルで顔を覆って寝ている田中圭がいる。白馬ジャンプ競技場のスタートタワーにある控室。正確に言えば、田中圭ではなくこのときは西方仁也だ。もっと言えば、本当は寝ているわけじゃない。それこそ芝居をしているのだ。自分を訪ねてきた原田雅彦と顔を合わせたくないから、西方は顔を背けて寝たふりをしている。
西方と原田。ふたりは切磋琢磨しながら日本のスキージャンプ界をけん引してきた間柄だったが、自国開催のオリンピックに際して、原田は日本代表に入りながら、西方はその代表選手たちをアシストするテストジャンパーとして今このときを迎えている。原田は前日には個人で銅メダルを獲得していて、翌日には金メダルが期待される団体の本番が待つ。あくまで寝たふりを続ける西方。それを分かっているのかいないのか、屈託なく近づいて、ふざけて無理やり起こそうとする原田。そこで原田は、西方にある頼みごとをする……。
1998年の長野オリンピック。結果、日本は団体で悲願の金メダルを手にすることになるが、その舞台裏にはそれぞれの苦悩と葛藤を抱えた選手たちの物語、そして栄光を陰で支えたテストジャンパーたちの物語があったことをご存じだろうか。その実話に基づいた感動のヒューマンドラマ『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』がいよいよ公開された。
本作は、実際にオリンピックが行われた白馬ジャンプ競技場など実際の舞台で撮影。俳優陣は本当に飛ばないまでも、高層ビルおよそ35階にあたる地上約130mの高さのジャンプ台のスタートゲートにつき、命綱のロープを付けたうえで滑り出すまでを自ら演じている。まさに体当たりで挑んだキャスト・スタッフの情熱がほとばしる作品となっているが、その中でも胸を打つのはやはり人間ドラマ。それもまさに体当たりのものとなっている。
田中圭ならではの現場での在り方
これまで見てきたように、主人公で実在の人物である西方仁也を演じるのは、田中圭。本作の撮影は2020年の年明けにスタートしたが、まず撮影されたのは西方が1994年のリレハンメルオリンピック団体で銀メダルに輝き、会見に臨むシーンだ。一抹の悔しさもある中で、次こそは金メダルだと決意を新たにする西方。しかしケガと若手の台頭もあって、4年後の地元で迎える長野オリンピックでは西方は代表から外れてしまうことになる。
主人公らしくない主人公で、キャラクターではなく、どこまでいってもあくまでひとりの人間。劇中における西方を表する言葉として、田中自身が何度も語っていた言葉だ。アスリートとしての顔、妻も子もいる家庭人としての顔も持ちながら、つまりは人間であるだけに、嘆きもする。ふてくされもする。何より揺れ動きもする。そんな西方を田中はナイーブにも男っぽく、血肉の通った人物として体現している。
裏を返せば、田中にしか演じられない役でもあるのかもしれない。生身の男の清濁合わせた等身大の感情をあらわに表現しながら、それでも憎めないチャーミングさ、それでいて体温が伝わるリアリティを醸す。役者・田中圭の本質にある魅力があますことなく伝わる作品でもあるのが本作だ。
例えば、夫、父親としてのシーン。団体の競技開始を前にしたテストジャンプを飛び終えて、スキー板を外す西方。ギャラリーもいるミックスゾーンで、顔を上げるとそこに妻の幸枝と3歳になる息子の慎護がいる。ふたりを前に、「俺、引退するよ」と口にする西方。それに対して幸絵は、ただひと言、「……うん」とだけ返す。
幸絵を演じるのは、これまでにも数々の作品で田中と共演してきている土屋太鳳。淡々としたやりとりながら、それぞれの言葉にできない思いもにじむ。そして、「じゃ、行くよ」とつぶやいて戻っていく西方。このひと言は台本にはなく、現場で田中が口にしたアドリブだ。「じゃ」と「~よ」の優しさ。自然な言葉でトーンながら、近しい人にしか出さない素顔や見せない愛情が何より伝わってくる。優しさの裏で弱さや切なさも感じさせて、西方自身もいとおしく思えてくる。
後輩の前、仲間の前、妻の前、また子供の前で、それぞれ違う表情と口調を見せる西方=田中。そこにひとりの男のリアリティが漂う。何気なさにこそ、田中のすごさがある。
一方で、撮影の“舞台裏”でも田中は“らしさ”を存分に見せている。慎護を演じる子役の加藤斗真くんがお菓子に夢中になっていると、それこそパパのように後ろからハグしながら「(撮影が)終わってから~!」と厳しくも優しくなだめて見せる。
また、1994年のリレハンメルオリンピックの団体競技後のシーン。日本代表メンバーである葛西紀明役の落合モトキ、岡部孝信役の大友律、そして原田雅彦役の濱津隆之との場面だ。落合の衣裳のビブスがずり上がってしまっていて、スタッフから下げてくださいという指示が入ると、それを聞いた田中はふざけてわざとビブスを上げて見せた。スタッフはたまらず、「逆ビブスやめてくださ~い(笑)」。
ハードなスケジュールで体力勝負であることはもちろん、雪を舞台に細心の注意を払う撮影や、繊細な芝居が求められる撮影が続いた本作。その中にあって田中の誰に対しても分け隔てないフランクさ、持ち前の茶目っ気と周囲を盛り上げようとするサービス精神は、何よりビタミン剤ともカンフル剤ともなったことは間違いない。
映画屈指の名シーンの裏側
また、テストジャンパーたちの先輩としてのシーン。そこには周りを受け止めながら、同時に周りを引っ張っていく西方=田中の姿があった。長野オリンピックの団体の本番。前半戦が終わった時点で、日本は原田の飛距離が伸びなかったこともあって4位に甘んじていたが、次のジャンプで逆転の見込みは大いにある。しかし、猛吹雪で競技が中断。中止となれば、前半の順位でメダルが確定してしまう。そんな中で大会役員は、テストジャンパー25人が全員無事に飛べたら競技を再開するという判断を下す。ただ、この状況下で結果を出すのは至難の業で、またそもそも飛ぶこと自体があまりに無謀で危険すぎる……。
この試練こそが映画の要で、また史実に基づく感動秘話の肝となっている部分だが、それぞれの思いがあった中で、飛ぶという決断をテストジャンパーたち自身が選ぶことになる。古田新太演じるコーチの神崎幸一、山田裕貴演じるテストジャンパーの高橋竜二、眞栄田郷敦演じる南川崇、小坂菜緒(日向坂46)演じる小林賀子らが集まっての作戦会議のシーン。自分のために、五輪のために、日本の金メダルのために、裏方であっても危険であっても飛びたい。飯塚健監督がそれぞれの芝居にアドバイスを加え、さらに熱は高まっていく。
西方は後輩たちの思いを受け止めるように、一方でその思いに感化されるかのように話を聞いている。その中で田中自身も何か感じ入るところがあったのか、若い俳優陣にこのシーンの状況と心情を語って見せる。物理的にも精神的にも、芝居での立ち位置はそのまま。若い俳優陣は田中の言葉を真剣な面持ちで、深く頷きながら聞き入っていた。
アスリートとしての意地とオリンピックに対する愛憎、また男としてのプライドと家族や仲間に対する愛情。その中で、西方の心情にどんな変化が起こっていくのか。それは映画でぜひ確かめてほしいが、話を戻して冒頭の原田と西方のやりとり。ここで原田は、間の抜けた言いぶりで西方にアンダーシャツを貸してほしいと頼み込む。替えを忘れでもしたのかと、仕方なく自分のアンダーシャツを差し出す西方。今、このときは西方にとって原田は疎ましい存在でしかないが、それでもちゃんと貸す西方の人の良さが愛らしくも切なくもある。
このエピソードも史実に基づくもので、実際、原田選手は西方選手のアンダーシャツ、そしてやはり長野では日本代表に選ばれながらも、団体戦4人のメンバーからは漏れてしまったリレハンメルの仲間・葛西紀明選手のグローブを身に着けて、大舞台に臨んでいる。一方で、映画はさらに人間ドラマに踏み込む。
西方に対して、「お前の気持ちは分かってるつもりだ」と話す原田。その言葉に西方は、「俺の何を分かってるんだよ……!?」とついに自分の感情を爆発させてしまう。ここでの田中の芝居が出色だ。原田をどこかで憎んでさえいる西方だが、怖がって怯えているようにも見える。また、怒りをぶつけているはずなのに、泣き叫んでいるようにも見える。感情とは、人間とはそういうもの。さらに言うなら、映画とはそういうものだろう。ひとつのセリフから、ひとつの芝居から、ひとつのシーンから、さまざまなものが感じ取れて、浮かび上がってくる。
撮影現場では、そういう芝居だとはいえ、ふたりを囲むテストジャンパー役の俳優陣も押し黙って食い入るように田中と濱津を見つめていた。それはスタッフも同様だ。監督が撮影を振り返って、心に強く残ったと語っていたシーンでもある。
“良い映画にしたい”っていう想い
田中は2月18日、東宝スタジオで行われたジャンプ中カットの撮影で出番を終了。まだ撮影が残っていた山田、このときのために駆けつけたテストジャンパーのキャスト陣に囲まれて、笑顔のアップとなった。これだけ慕われるのは座長としての人徳もあるだろうが、田中自身がどれたけ本作に情熱と誠実さを持って打ち込んでいたか、周りもよく分かっているからこそだろう。その姿勢と態度が、周りを動かしていく。
「“良い映画にしたい”っていう想いってすごく大事で、僕は今回の作品に限らず、すべての作品で“良い映画にしたい”と思っているけれど、やっぱりチームで作るものなので。チームで全員が良い映画にしたいって思っているかどうか、あとはそうじゃない人が仮にいたとしたら、どこまで“良い映画にしようぜ”っていうテンションを伝染させるか。そういうのが作品作りの前に、チーム作りとして必要だと思っています」。そんなことを現場で語っていた田中。
表舞台に立つ人間で文字どおり英雄ながら、そんな真摯な田中だからこそ映画づくりの舞台裏においても英雄たり得る。主人公らしくない主人公で、キャラクターではなく、どこまでいってもあくまでひとりの人間。それは田中にも当てはまる言葉に違いない。『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』は、またこれまでと違う、それでいてこれぞ田中圭という魅力を感じさせてくれる一作だ。
取材・文:渡辺水央
『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』
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