主宰・山本卓卓、岸田國士戯曲賞受賞後初の新作公演、範宙遊泳『ディグ・ディグ・フレミング!〜私はロボットではありません〜』開幕
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範宙遊泳『ディグ・ディグ・フレミング!〜私はロボットではありません〜』より 撮影:鈴木竜一朗
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すべて見るYouTuberとしてネットを賑わすインフルエンサー集団が、SNSなどで大炎上を起こしてから謝罪に至るまでの物語――もの凄くはしょって書くと『ディグ・ディグ・フレミング!〜私はロボットではありません〜』のあらすじはこうなる。
範宙遊泳の主宰・山本卓卓は、常に同時代的な感覚で脚本の執筆に腐心するそうだが、なるほど、今回の題材は確かにタイムリー極まりない。子供がなりたい職業の上位にYouTuberが挙がり、コロナ以降に有名人の自死が相次ぐ、そんな時代(あるいは、タイムライン)の空気を余すところなく捉えた作品である。
いわゆる「社会派」というような堅苦しさは皆無だ。むしろ、その筆致は軽やかで妙味。これまで筆者が観た山本の作品に比べ、観客を笑わせにかかる場面も多かった。舞台の背後にスクリーンがあり、そこに数々の文字が投影されるというニコニコ動画的な試行も、作品のシリアスさを軽減しているようであった。
ところで、演劇界には上演台本を俎上に載せて審査 / 評価する岸田戯曲賞という賞があり、平田オリザも、松尾スズキも、宮藤官九郎も、三谷幸喜も、この賞を獲っている。いわば、演劇界の芥川賞のようなものだ。
範宙遊泳の主宰である山本卓卓は今年、3度目のノミネートにして『バナナの花は食べられる』で同賞を受賞しているのだが、その事実は本作に少なからず影響を与えていると思う。
岸田賞の何が面白いかって、名だたる選考委員の饒舌で熱のこもった選評である。選考委員は、野田秀樹、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、岩松了、岡田利規、矢内原美邦という面々。選評は岸田賞を運営する白水社のサイトで見ることができるが、選考委員の分析や解読や助言がべらぼうに面白く、鋭い。
そして、本作は、審査委員の選評への山本なりの返答でもあるという印象を受けた。例えば、岩松了は『バナナの花は食べられる』について、「頭の中で動いている世界がいっぱいあるわりには体が動いてない」と述べている。
体が動いていない、というのがアナロジーであることは承知しているが、本作はまさに岩松へのアンサーのように「俳優が体を精一杯動かす」作品となっている。台詞と身体表現が一体となって新たなパースペクティブを獲得している、というべきか。
特に、歌舞伎で見得を切るような、あるいは、落語的な語りが混在するような、大袈裟な身振り手振りが笑いを誘発していた。見逃していたが、山本は落語をモチーフにした短編をふたつ創作していたとのこと。それが本作の風通しの良さに繋がっているのは間違いない。
あるいは、チェルフィッチュ主宰の岡田利規は選評で「モノローグ部分には冗長なところも多い」と評価しているが、時に哀切なポエムのようなセリフを交えた本作は、岡田の物足りなさを補って余りあるものだと思う。……と、ここまで書いたところで、山本のインタビューを幾つか閲覧してみたが、彼は実際「岸田の選評で育ったという自覚があるかもしれない」と発言している。体系的に演劇の専門教育を受けた実感がない、という彼は、読み巧者ぞろいの選考委員たちの評から多くを吸い取ってきたのである。
俳優では、板橋駿谷、北尾亘、永島敬三と演劇ユニット=さんぴんの一員としても活躍する福原冠の存在感が際立っていた。そして、狂言回し的な役割を担っていたのが、根本宗子や東京デスロックの作品にも出演した李そじん。赤いウィッグとアラレちゃん眼鏡という風貌で、エキセントリックな挙動 / 言動を繰り返す彼女が、物語を攪乱 / 攪拌していたのも印象的だった。
取材・文=土佐有明
撮影=鈴木竜一朗
<公演情報>
範宙遊泳新作本公演
『ディグ・ディグ・フレイミング! 〜私はロボットではありません〜』
2022年6月25日(土) ~7月3日(日) 東京芸術劇場 シアターイースト
作・演出:山本卓卓
出演:埜本幸良 / 福原冠 / 亀上空花 / 小濱昭博(劇団 短距離男道ミサイル)/ 李そじん(青年団 / 東京デスロック)/ 百瀬朔 / 村岡希美(ナイロン100℃ / 阿佐ヶ谷スパイダース)
チケットはこちら:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2216207
公式サイト:
https://www.hanchuyuei2017.com/digdig22
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