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【おとなの映画ガイド】黒澤明の名作をカズオ・イシグロ脚本で見事にリメイク──『生きる LIVING』

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『生きる LIVING』 (C)Number 9 Films Living Limited

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とてもていねいに作られた、黒澤明『生きる』のイギリスによるリメイク作品が3月31日に日本公開される。あの伝説ともいえるブランコのラストシーンまで、不自然さがまるでなくって驚くはず。さすがに「いのちみじいかし、恋せよ乙女〜」という、あの歌は使われていないけれど……。

『生きる LIVING』

黒澤、橋本忍、小国英雄による原作をもとに、今回の脚本を書いたのはイギリス在住のノーベル賞作家カズオ・イシグロ。再映画化のきっかけを作ったのも、実は彼だそうだ。

きっかけは、とあるレストランの一夜。映画オタクでもあるイシグロと旧知のプロデューサー、スティーヴン・ウーリーが食事の席で、1930年代から50年代に白黒映画を撮った著名人を話題にしていた。映画好きがそういうウンチクを語り合うのは楽しいもの。この夜もかなり盛り上がったという。たまたまその店に居合わせたのが、俳優のビル・ナイ。話の流れが、どうやらこの『生きる』と黒澤になったようで、夕食後、別のテーブルにいたビル・ナイにイシグロが「君が出るべき次回作がわかったよ」と声をかけた。

そこからウーリーがプロデューサーとして動き出し、映画化はとんとん拍子にすすんだ。脚本はイシグロ、主演はナイ。監督は南アフリカの新鋭オリヴァー・ハーマナスが抜擢された。製作には黒澤プロダクションも名前をつらねている。完成した作品は、イギリス国内のみならず、ヴェネチア国際映画祭、東京国際映画祭などの映画祭でも上映。今回の米アカデミー賞ではカズオ・イシグロが脚色賞に、ビル・ナイも主演男優賞にノミネートされた。

さて、その内容だが。黒澤ファンにとっては作品の「あのシーン」はどうなっているのだろう、という興味がおさえられないと思う。そのあたり、作り手も心得たもので、原作へのリスペクトは完璧といっていい。

時代は1953年。主人公のウィリアムズ氏(ビル・ナイ)はロンドンの市役所で働く公務員。市民課の課長だ。描かれている役所の仕事ぶりは日英ともに変わらない。机の上には書類の山。この映画でも「未決書類の山は忙しさの象徴」というセリフがでてくるが、忙しくて新しいことなどにはとても手がまわらないと、この「山」が訴えている。そこに、汚水のたまる空き地を子どもの遊び場にと、新たな面倒を抱えた主婦たちが陳情にやってくる。ウィリアムズ氏、実はそれどころじゃない。医者からガンの告知をされたばかりなのである。とこれは黒澤の『生きる』とほぼ同じ。

さらに、志村喬扮する主人公・渡辺が自暴自棄になり歓楽街へくりだして小説家(伊藤雄之助)と遊びまわる一夜、息子(金子信雄)とのいざこざ、そして役所の部下(小田切みき)と町で出会う心温まるシーンなども、なるほどと納得できるアダプテーションになっている。原作との大きなちがいは、ウィリアムズの部署に新たに配属になる若い部下ピーターの存在で、彼の目を通して、ウイリアムズ氏の人生が描かれる。

画面サイズは縦横正方形に近いスタンダード。1950年代ロンドン、ニュースフィルムのような通勤時間の映像からはじまる。当時の映画にも似た、どちらかというとやぼったい色調。そして都心に向かう通勤列車の中は同じスーツ、同じ帽子をかぶった男たち。イギリスで育ったイシグロが少年時代に見た、そんな記憶にある風景を再現した。通勤列車といっても、コンパートメント。部屋のようになっていて、乗り合わせた同じ職場の面々が向かい合う座席でたわいもない話をしている(これがあとで絶妙な役割をはたす)。そこに、山高帽のウイリアム氏が乗り込んでくる。

日本人とイギリス人の共通の感情。イシグロはそれを「ストイックなまでの抑制心」という。ビル・ナイのあまり感情を表にださない演技はそれに見事に応えている。ウィリアム氏と渡辺氏、この映画を観ると、我々は、静かなこのふたりの末裔であると、きっと誇りに感じるはず。

文=坂口英明(ぴあ編集部)

【ぴあ水先案内から】

笠井信輔さん(フリーアナウンサー)
「……「生きる力」が静かにみなぎってくる。死が間近なのにまるで蝋燭の炎のように輝きが増して見える。こんな人物になりたいと思わせる存在感。これもまたいい。……」

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(C)Number 9 Films Living Limited