Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
ぴあ 総合TOP > 『フジロック'24』電気グルーヴインタビュー【前編】「フェスは、みんなが待ってるものを、ちゃんとやった方がいい」

『フジロック'24』電気グルーヴインタビュー【前編】「フェスは、みんなが待ってるものを、ちゃんとやった方がいい」

音楽

インタビュー

ぴあ

左から)石野卓球、ピエール瀧 (Photo:小境勝巳)

続きを読む

Text:兵庫慎司 Photo:小境勝巳

1997年の第一回目に出演していて、2024年で9回目。一回目からずっと出ているし、石野卓球はDJとして、出ない年の方が少ないくらいのペースで、深夜のレッドマーキーかGAN-BAN SQUAREのどちらかのステージに上がっている。

2019年3月のピエール瀧の逮捕後、(無観客配信ライブはあったが)客前での初のステージは、2021年のフジロックの最終日、8月22日グリーン・ステージのトリだった。今年は初日7月26日(金) のレッドマーキー深夜の「PLANET GROOVE」に登場、翌日にGAN-BAN SQUAREで石野卓球のDJもある。

というわけで、おふたりにフジについて、過去の出演について、最後にちょっとだけ今年の出番について、話していただいた模様がYouTube用にアップされますが、そっちでカットされた部分も含めてテキストにしたのが、以下のインタビューです。

なお、身を以てご存知の方も多いと思いますが、レッドマーキー、電気がやる場所としてはあきらかに狭くて、「音だけ聴ければいいや」じゃない場合は、早めに行くことが必須です。ではどうぞ。

──フジロック、1997年の一回目に出演していて、現在まで出演し続けているのって、電気グルーヴだけだと思うんですが。(注:国内アーティストは電気グルーヴのみ、海外アーティストだとFOO FIGHTERSも初年度に出演)

石野卓球(以下、石野) それって確かな情報? 他にもいたりすると、その人たちに失礼っていう。

──でも、電気として活動していなかった2001年から2005年まで以外は、2〜3年おきに出演を続けている、というのは電気だけかなと。その休止期間も、石野さんはDJで出ていたし、ずっとフジロックと近い関係で──。

石野 オオサンショウウオみたい(笑)。シーラカンスとか。

ピエール瀧(以下、瀧) まあまあ、そうね。

──フジロックからも求められているんでしょうけど、電気もフジロックに愛着が──。

石野 でも、こっちが出たいって言って出れるもんじゃないから。こっちはオファーを待つ身だから。でももちろん、呼ばれるのはうれしいし。あとこれだけ長く付き合いがあると、やっぱり特別な思いもあるっていうかね。

 世話になってる感じもあるしね。

──フジロックで立つステージっていうのは、ほかのイベントとは違ったりします?

石野 気が楽、とにかく。ねえ?

 うん、まあそうね。

石野 勝手知ったる、っていうのと、あと、ほっといてくれる。

 ああ、それはあるね。

石野 最近フェスとかいっぱい増えて来て、やっぱりフジに比べたら、圧倒的にバックステージのホスピタリティがいいわけですよ。なんだけど、フジは最初からずーっとそれは変わらない感じが、むしろいい(笑)。これは嫌味でもなんでもなくて。

 とにかくライブだけしっかりやってくれたまえ、あとは知らん、って感じが(笑)。

石野 現地集合、現地解散。

 ほんとに。それがいいよね。あんまり特別扱いもして来ないっていうか。

石野 今年もまた、バックステージでジャワティーを飲むんだな、っていう。

 で、またたくさん歩くんだな、っていう。

──昔、瀧さん、かなりご機嫌になって、裏動線で、出演アーティストを楽屋まで送るクルマをタクシーみたいに止めて、乗せてもらって帰った、という話をされてましたよね。

 ああ、そうそう。「乗せてくれー!」ってね。あれいつだろう? めちゃめちゃ酔っぱらってた時は、何回かあるから。

石野 逆に、あんまり酔っぱらってなかった時を数えた方が早いっていうか。何年か前の、コロナの時、大声禁止、アルコール禁止の時、あったじゃん。

 うん。2021年か。

石野 あの時ぐらいかな、憶えてるのは。

 だいたい泥酔してるからね。人のステージの酒を飲んだり(笑)。誰かのやつを飲んじゃったんだよね、「あ、ワインがある」って。

石野 リッチー・ホウティンのでしょ?

 あ、そうだ。「それステージ用のです!」「ああっ、ごめんごめん!」。

──出番が終わったら飲みがスタート?

 とりあえず出番が終わって、「おつかれ、乾杯!」から始まって。そこから、終わりなんかないじゃん、だって。その日に帰るわけでもないから。そうするとずっと飲んでて……前に、俺がビール飲みながら、イスがないところに腰かけちゃうから、マネージャーがイスを持って後ろを付いて回ってて(笑)。

石野 追いかけてた。

 イスがないとこに腰かけて、「バッチャーン! あひゃひゃひゃ!」みたいになるから。「瀧さん何やってんですか!」って言いながら、マネージャーがイスを持って。

──石野さんのDJも、ほぼ毎年のように。

石野 いや、去年は俺、呼ばれてないかな。何年かに一回ありますよ、「あ、今年ないな」っていう年が。

──石野さんから断ることはない?

石野 うん、今んとこないんじゃないかな。今年も、電気で出た翌日、GAN-BAN SQUAREでやるんですけど、それも……クラフトワークが出るでしょ? 電気が1日目でクラフトワークが2日目、じゃあもう一泊残る、って言ったら、そこに目をつけたGAN-BANが「やりませんか?」って(笑)。

 まあまあ、それは残るべきだよね。

──DJの方で記憶に残っている年ってあります?

石野 近々だとやっぱり、瀧のこれ(手錠のポーズ)の年、DJで出た時(2019年)……大根(仁)さんが動画を撮ってたりとかもしたんで、あれは印象に残ってるかな。瀧のおかげで。

 うん。

石野 感謝してますよ。

 残念ながら観てないんだよね、それね。

──あの時は、電気の曲、いっぱいかけてましたよね、普段のDJと違って。

石野 あれ、ほんとは電気で出るはずだったけど、DJだったから。電気目当てで心の準備をしてた人たちもいただろうから、それに対してのレスポンスというか、こっちからの。

──では、過去の電気の出演年で、重要なやつをいくつか振り返っていただきたいんですが。最初はやっぱり開催一回目の1997年、暴風雨の中の出演で、石野さんが思わず「みなさん、がんばってください!」と叫んだ──。

石野 そうでも言わないと、みんな心が折れるっていうか。自分に対しても言ってる(笑)。

 まだみんな、フェスってどういうものか、わかっていない頃だったからね。軽装の子たちが多い、「夏でしょ?」って感じの。雨具も持ってない、みたいな子たちが会場にいて、女の子とか、ワンピースにヒールで来てたもんね。それで雨降って、極寒のフィールドになって。で、タワーレコードの袋を、みんな頭にかぶって。

石野 防寒具にして。

 黄色と赤の人が会場をウロウロしてんのを控室から見て、「すげえことになってんなあ」と思ったのを憶えてますね。

石野 履いてる人もいたよね。

 長靴代わりにね。で、黒ビニールを着て、頭にタワーレコードの袋を。

石野 タワレコカジ(笑)。あの時は会場も違ったから、そのあとのフジロックとは別っていうかね、印象としては。プレ・フジロック、っていうか。

 とにかく強風、豪雨で、スキー場だったんで下がぬかるんでるし。で、屋根がほぼない。っていう中でライブをやって。

石野 台風が近づいてたんだよね。

 今ほどシャトルバスとかがちゃんとしてなかったんで、帰るにも帰れないっていう。

石野 佐山シャトル。

 タイガーステップ(笑)。っていうので帰れなくて、だからもう、遭難だよね、ほぼ。音楽が鳴っている遭難、っていう感じになっている中で、うちらは初日の後半に近い方だったのかな。で、お客さんたちもヤケクソだから、「ウォーッ!!」みたいになって、モッシュからワーッて湯気が立ち上ってたのを憶えてるかな。そうでもしないと暖は取れないもんね、と思いながら、ステージから見てた感じかな。「富士山」をやったんで、俺、富士山のかぶりものをしたんだけど。その日唯一見れた富士山が俺っていう(笑)。

──次は、苗場に移ってから初めて電気が出た2000年、日曜のホワイトのトリ。

石野 全然憶えてない。

 ねえ?

石野 24年前の記憶でしょ? ほぼ毎年行ってる。憶えててたまるかっていう(笑)。上書きされちゃうよね、やっぱりね。

 うん。2000年てことは、『VOXXX』のタイミングか。

──その次は、活動休止明けの2006年。

石野 6年も空くんだね。これは、DVDになってるやつじゃないかな(※2007年10月リリースの『Live at FUJI ROCK FESTIVAL ‘06』)。

 「N.O.」から始まるやつだ。

──過去の代表曲満載の、ベストアルバムみたいなライブを、電気グルーヴが初めてやった時です。

石野 さっさとやれよっていう話だよね。あ、でも、2006年の休止してた時より前と後では、グループとしても違うしね。

 うん。きみ、たぶんその間もDJやってるだろうから。ずっとDJやってて、「次は電気でライブでグリーンで」って言われて、「ええっ!?」っていうところなんじゃいかな。

石野 でも俺ね、けっこう最近まで、グリーンとホワイトの違いがわかってなくて。

 (笑)。なるほど。

石野 「グリーンですよ!」って、当時のマネージャーとかスタッフが大騒ぎしてて。

 「ごはんですよ」みたいな感じで。

石野 「ごはんですよ」ではない(笑)。「グリーンもホワイトもそんな変わんなくない?」みたいな感じだったのよ。グリーンのありがたみを、あんまりわかってなかった。

 ただ名前が違ってるだけだと。

石野 そうそう。「苗プリから遠い方が、グリーン? ホワイト?」、そんな感じだったから。とにかくレッドマーキー一択だったから。いちばん近いし、屋根もあるし、赤いし(笑)、あと好みのアーティストが出てるっていうね。

──この時、有名曲をどんどんやるライブにしたのは?

石野 久しぶりだし、フェスは試す場じゃないなっていう、すごくあたりまえのこと。

 フェスは、みんなが待ってるものを、ちゃんとやった方がいい、っていう。

石野 あとこれは、DVDで残ってたから、観ると、当時のステージ衣装や髪型が、すげえ地味だったな、っていう。

 普段着で出てる。普段着でグリーン。

──今は必ずお揃いの衣装ですもんね。

石野 そういうのもなかったから。

──2012年に、電気としては初めてレッドマーキーでやった時のことは、憶えてます?

 うん、憶えてる。

石野 この時の「富士山」が、いいんだよね。

 この時のレッドマーキーは、超楽しかった思い出がある。なんか。

──日曜深夜のトップでしたよね。人が多くて入れなくて、外で聴いた記憶があります。

石野 うーん、出てる方は憶えてないのよ。

 ただ、お客さんがパンパンだったのは憶えてる。

石野 顔が。

 顔が。

石野 塩分摂りすぎで。

 むくんじゃって、ほんとに。やっぱり山は気圧が低いから。

石野 ポテトチップスの袋が膨らむみたいに(笑)。

──瀧さんは楽しかった憶えがあると。

 楽しかったし、なんか、なんだろうね、会心のライブっていうか。

石野 俺もこの時楽しかった。憶えてんのは「富士山」だけだけど。

 ちょっと自由度もあって、お客さんのガッていう熱も伝わってきて。なんかこう、いい噛み合い具合のライブだったなっていう。

石野 噛み合い? はははは。

 おまえ犬に持っていかれすぎなんだって。

石野 でも、電気グルーヴ、二人組になって、ライブも二人組の電気グルーヴとして……まあもちろんサポートはいるんですけど、それでやっていく中で、だいぶ今に近い形になってきたっていう。そういう時期のライブだよね。だから印象に残ってるのかもしんない。

※インタビュー後編は近日公開予定。お楽しみに!

ぴあアプリ限定!

アプリで応募プレゼント

★電気グルーヴのサイン入り色紙を抽選で3名様にプレゼント!

【応募方法】

1. 「ぴあアプリ」をダウンロードする。

こちらからもダウンロードできます

2. 「ぴあアプリ」をインストールしたら早速応募!

★動画はこちら

『フジロック'24』電気グルーヴ動画インタビュー【前編】




<イベント情報>
『FUJI ROCK FESTIVAL '24』

7月26日(金)~28日(日)
新潟・苗場スキー場

チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/events/frf/

公式サイト:
https://www.fujirockfestival.com/

<電気グルーヴライブ情報>
『35周年ツアー “3594”』

9月14日(土)Zepp Osaka Bayside ほか
詳細はこちら

電気グルーヴ公式サイト:
https://www.denkigroove.com/