『田名網敬一 記憶の冒険』レポート 作家が最期まで情熱を傾けた大回顧展の全貌を紹介
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《金魚の大冒険》2024年
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すべて見る学生時代からデザイナーとして活躍し、今年8月9日(金) に88歳で逝去したアーティスト、田名網敬一の活動の全貌に迫る展覧会『田名網敬一 記憶の冒険』が、国立新美術館で8月7日(水) に開幕。11月11日(月) まで開催されている。最期まで第一線で活躍し続け、同展の展示計画や広報にいたるまで精力的に取り組んだという田名網の初となる大規模回顧展だ。
田名網敬一は1936年生まれ。武蔵野美術大学在学中よりグラフィックデザイナーとして活躍、さまざまな雑誌のエディトリアルデザインに携わり、1975年には日本版『PLAYBOY』の初代アートディレクターも務めていた。その一方で1960年代後半よりアーティストとしても活動を開始、絵画やコラージュ、立体作品などジャンルを軽やかに飛び越え、精力的に活動を行った。同展は彼の足跡を全11章、展示作品500点以上でたどっていく。
展覧会の冒頭を飾るのは、最新作のインスタレーション《百橋図》。田名網は、幼年期に遊び場として訪れていた目黒雅叙園にあった太鼓橋の絵や、葛飾北斎の《諸国名橋奇覧》をはじめ、橋や橋に関する作品、歴史に強い関心があり、作品につながったという。
続く第1章「NO MORE WAR」では、アンディ・ウォーホルに影響を受け、1965年に制作したシルクスクリーン作品や、当時手掛けていたポスター類を展示する。アートとデザインの領域を縦横無尽に行き来するスタイルを田名網は60年以上変わらずに続けてきたのだ。そして第2章「虚像未来図鑑」では、さまざまなイメージを組み合わせたコラージュ作品などを紹介する。
制作意欲旺盛な田名網はアニメーション作家、久里洋二のもとで映像制作も学んだ。3章「アニメーション」で展示されるのは、60〜70年代に田名網が手掛けたアニメーション映像やその原画だ。
精力的に活動を続けていた田名網の作風は、1981年、結核を発症し4ヶ月入院したことをきっかけに変化を遂げる。薬の副作用により極彩色の幻覚を体験し、そのときのイメージを記録したノートは10冊ほどにわたり、新たな創作の世界の道しるべとなった。4章「人工の楽園」には、入院以降に制作した極彩色の作品を、5章「記憶をたどる旅」は、田名網が1990年頃から始めた、ドローイングという手法で夢や記憶を書き留め、それらをもとに制作した作品を展示する。
田名網はアニメーションと並行して実験映像の制作も行っていた。第6章「エクスペリメンタル・フィルム」では、田名網がさまざまな映像作家たちとの出会いを通して制作した実験映像や、その制作に関して残された映像素材を展示する。
田名網の制作意欲は21世紀に入ってもとどまることを知らなかった。第7章「アルチンボルドの迷宮」、第8章「記憶の修築」、第9章「ピカソの悦楽」、第10章「貘の札」では極彩色の絵画とともにインスタレーションも登場。鮮やかで激しい色彩が取り巻く空間が続いていく。
空間に埋め尽くされている作品をたどっていくと、田名網はアンディ・ウォーホルなどのポップアートのみならず、アルチンボルドやピカソ、ジョルジョ・デ・キリコに伊藤若冲、曾我蕭白など国籍、時代を問わずあらゆるジャンルから着想を得ていることがわかる。そのイージの源泉を探してみるのもまた楽しい。
そして、最終章である11章「田名網敬一✕赤塚不二夫」では、田名網が敬愛していた漫画家、赤塚不二夫をオマージュした作品を展示している。名画からマンガまで、あらゆるものを創造の源泉とし、あらゆるジャンルで表現をしていた田名網敬一。この展覧会には、彼が生きた88年が凝縮されている。
田名網敬一の足跡を非常に丁寧にたどっているゆえに、大ボリュームかつ濃密な展覧会。適度に休憩、気分転換を図りながら展示を楽しんでみよう。
取材・文・撮影:浦島茂世
<開催概要>
『田名網敬一 記憶の冒険』
2024年8月7日(水)~ 11月11日(月)、国立新美術館にて開催
公式HP:
https://www.nact.jp/exhibition_special/2024/keiichitanaami/
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