早くも登場した年間ベスト級の作品『敵』──東京国際映画祭三冠獲得の傑作!【おとなの映画ガイド】
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『敵』 (C)1998 筒井康隆/新潮社 (C)2023 TEKINOMIKATA
続きを読む昨年秋の東京国際映画祭で東京グランプリ・最優秀監督賞・最優秀男優賞の三冠に輝き、話題となった『敵』が、いよいよ1月17日(金) から全国公開される。筒井康隆の同名小説を映画化した、平穏な独り暮らしをする70代男性に“得体のしれない何か”が突然押し寄せてくる、モノクローム映像のサスペンスフルな作品。アジア全域版アカデミー賞「アジア・フィルム・アワード」で、日本映画としては最多の6部門がノミネートされたことも10日に報じられ、ますます注目が集まっている一本だ。
『敵』
主人公は、フランス近代演劇史が専門の元大学教授・渡辺儀助、77歳。長塚京三が演じている。
20年前に妻に先立たれ、都内の古い一軒家に独りで住む。子どもはいない。年金と、わずかだが原稿料や講演料が収入源。貯金を切り崩している状態で、それが底をついたらこの世を去るとき、と考えている。世の中と関わりをもたないわけではない。友人とバーで酒を愉しむこともあるし、家にたまに来る教え子もいる。散財をせず、規則正しく、丁寧に、淡々と生活する日々。
近頃、虚実の境目がないような、変な夢をみる。そんなある日、パソコンで原稿を書いていると不気味なメールが届いた。文面は、「敵が来る──」。
彼の静かな暮らしが、少しずつ、少しずつ、犯されていく……。
吉田大八監督は、パンデミックのなか、蔵書を読み返していて、1998年に書かれたこの筒井康隆による原作小説に再会した。
「朝食」「友人」「物置」……といった40以上の章に分かれていて、こまごまとした、こだわりのある暮らしぶりが主人公の視点で書かれ、そのなかで、ゆったりと物語が進む。描写の細部に魅力があり、これを映画化するのは至難の業と思える小説だ。
仕掛けとして用意したのは、舞台となる、主人公の、築100年以上、文化遺産レベルの民家を利用した家と、それを活かしたモノクロームの映像だ。まるで、小津安二郎か、成瀬巳喜男の映画のような、端正で、どこかストイックなたたずまい。
儀助役は長塚京三にオファーした。パリ大学ソルボンヌ校在学中に『パリの中国人』というフランス映画の「紅衛兵」役でデビューした経歴の持ち主。年齢的にも主人公に近い。骨格はほぼ原作通りとし、シナリオは当て書きにした。
長塚京三といえば、1990年代に「恋は遠い日の花火ではない」というキャッチコピーのサントリーCMで「課長の背中をみるの、好きなんです」と部下の女性に打ち明けられ、「やめろよ」といいながら後で「やった!」とステップする中年管理職の色男を演じ、話題の人となった。
この映画の儀助も、若い女性にもてる。インテリで包容力があり、清廉潔白に生きていたので、枯れた紳士ではあるが、頼られる。
しかし、敵が現れてからというもの、教え子(瀧内公美)と、性的な関係になるという妄想に猛烈にかられたり、バーで知り合った大学生(河合優実)に「先生に教えてほしかったな」と言われメロメロになったりと、長年潜在意識の中でうごめいていた欲望が噴出する。さらには時折、亡くなった妻(黒沢あすか)まで夢に現れて、一緒にお風呂に入ったりする。生きていたときはそんなことは一度もなかったのに。白黒の映像が、逆になまめかしくみえてくる。
結果、作家ご本人も「すべてにわたり映像化は不可能と思っていたものを、すべてにわたり映像化を実現していただけた」とコメントしているほど、 見事な作品になっている。
吉田監督がめざしたのは「丁寧に積み上げた世界を一気にぶっ壊す“筒井的カタルシス”」 。人間の内面や、思いもしない側面をえぐりだす。
静かな生活が淡々と進むか、とみせて、主人公の内部では事態はまるで戦争状態に突入してしまうような、スリリングな展開。モノクロームの静かなたたずまいにだまされてはいけない。筒井康隆原作の見事な映画化! かなりぶっとんだ傑作です。
文=坂口英明(ぴあ編集部)
【ぴあ水先案内から】
中川右介さん(編集者、作家)
「……つまらない映画のようだけど、これが不思議なことに、まったく退屈はしない。モノクロームであることも手伝って、ドキュメンタリーを見ているかのようなのだ……」
(C)1998 筒井康隆/新潮社 (C)2023 TEKINOMIKATA