新国立劇場《蝶々夫人》"理想の蝶々さん"小林厚子がいよいよ登場
クラシック
インタビュー
小林厚子
続きを読む新国立劇場で5月に上演されるプッチーニ《蝶々夫人》は、同劇場で最も多く上演されている人気演目。題名役を、"理想の蝶々さん"と評判の小林厚子(ソプラノ)が演じる。現代を代表する蝶々さんが、新国立劇場のシーズン公演にいよいよ登場する。
「2008年の《アイーダ》でアイーダ役のカヴァーをさせていただいたのが、この劇場でいただいた最初のお仕事でした。私は、新国立劇場に育てていただいたという気持ちがあるんです。その劇場の本公演で歌わせていただけることは、本当に感慨深く、とても光栄なのですが、それは私個人の気持ち。舞台には持ち込まずに、蝶々さんとして作品を届けたいなと思っています」
舞台に立っているのは蝶々さんという役であって、小林厚子自身ではないという。そうあるべきなのだろう。それは実際の演じ方、歌い方でも同じこと。
「もちろん稽古が始まればマエストロや演出家からのご指示やリクエストはありますが、私自身の準備段階ではプロダクションによって歌い方を変えようとは考えていません。現場で蝶々さんとして感じるままにと思っていますが、同じ演出でも、共演者が違えば、感じ方も毎回違ってきます」
新国立劇場《蝶々夫人》の現役プロダクションは栗山民也の演出。2005年の初演から繰り返し上演されている定評ある舞台だ。
「あの舞台で演じる時はいつも、あたたかさに包まれているのを感じるんです」
同劇場の「高校生のための鑑賞教室」でもこのプロダクションで演じて、その世界観を熟知する彼女。舞台装置(美術:島次郎)はとてもシンプルだ。障子と一本の柱だけで表現された蝶々さんの家の背後に、星条旗に向かって伸びる階段。蝶々さんが生きている小さな世界をアメリカが見下ろしているようなイメージ。どちらかといえばクールな印象を受けるが、実際に舞台に立つ人の感覚は「あたたかさ」なのだ。
「以前、共演者ともすごくあたたかい感じがするよねと話したことがあるのですが、あの舞台は“胎内”をイメージしていると伺い、なるほどと思いました。装置からも光からも、何かに抱かれている中でドラマが進行している感じを受けます」
演出の栗山民也はこのプロダクション初演時のインタビューで、女の運命、女の物語という意味から、舞台を「胎内」と考えたことを述べている。生命を包み込むもの。それゆえに舞台は丸みを帯びており、その円形を切り裂いた果てに星条旗が見えるという構造だ(会報誌『The Atre』2005年2月号)。
そしてその胎内の中では、ふたりの「愛」も守られている。栗山はこう述べる。
「……たしかにピンカートンは欲望の対象として蝶々さんをおもちゃだと思ったかもしれない。でもあの一瞬でも、彼女に美を発見し、愛し、至福の瞬間が絶対あったはずだと思う。それがまた一瞬にしてどす黒いものに堕ちてゆく。人間のドラマというものはそういうものではないかと思うのです」(公演プログラム「Production Note」より)
蝶々さんはもちろん、ピンカートンも、刹那的にかもしれないが、日本の少女をたしかに愛したはずだ、と。直に言葉で説明することがなくても、そんな意図を敏感に嗅ぎ取った演者たちが、「あたたかい」と感じるのだろう。舞台って面白い。

しばしば話題にされるように、オペラの中の蝶々さんは15~18歳。まだ少女と言える年齢だが、演じるソプラノ歌手に要求されるのはドラマティックなリリコ・スピントだ。そのギャップを、どうバランスをとって演じるかが難しいと言われる。
「蝶々さんは18歳で自ら死を選んでしまうわけですが、“生ききった”人であると思うんです。歳は若くとも、蝶々さんは自分の人生をしっかりと全うした女性。大変なパッセージやドラマティックな表現、それは生ききった人の音楽、言葉なのだと思います。
だから15歳の時は子供っぽい声を出そうとか、18歳になったら大人っぽくなどとは考えていません。そう思わなくても、音楽がそのように作られています。自然に音楽と向き合っていけば、プッチーニがちゃんとそういう道筋に連れて行ってくれるのです。近年は特にそう感じるようになりました。
ただ、本当に大変な役です。出ずっぱり、歌いっぱなし、体力も精神力も相当必要です。オーケストラも厚く、心底大変な役ではありますが、ほとんどは言葉をしゃべっているんです。ドラマを細やかに届けられるようにと思っています」
2007年に藤原歌劇団の《蝶々夫人》で主役デビュー。しかしスター街道まっしぐらというのではなく、そこから10年間もほぼ毎年新国立劇場でカヴァー・キャストを務めるなどして経験を積み、一歩一歩着実に歩みを進めてきた。
「振り返ってみると、あの10年は私にとってとても大切だったと思います。私はたぶん、声帯が小さいほうではないのですけれども、そうすると出来上がるのにやっぱり時間がかかるんですね。レッジェーロで声帯の短い人は出来上がるのが早いと言われていますが、私の大学時代は、オペラのような大きなものを歌うことはなく、先生がくださるヘンデルやヴィヴァルディなどの古典やイタリア歌曲を勉強する毎日でした。
ですからようやく少しずつオペラを歌えるようになっても、頂くどの役も『初めまして』でしたが、この劇場でたくさんの役を勉強させていただきました。のんびり屋なので、ゆっくりゆっくり。これからも勉強が終わることはありませんが、先生方、劇場、そして周りの皆さまが導いてくださっていると感謝しています」
先述のように、《蝶々夫人》は新国立劇場で最も多く上演されている演目。現在創立28年目のシーズンを迎えている同劇場で、昨季までに53公演の上演実績があり、ここに今季4公演が加わることになる(ちなみに第2位は《カルメン》で、51公演+今季5公演)。さらに、毎夏に行われている「高校生のためのオペラ鑑賞教室」は実にその約4割(59公演)が《蝶々夫人》なので、合計すると断トツ。累計約20万人が鑑賞している、まさに劇場を代表するオペラが《蝶々夫人》なのだ。
小林以外の主要キャストは、ピンカートン:ホセ・シメリーリャ・ロメロ(テノール)、シャープレス:ブルーノ・タッディア、スズキ:山下牧子(メゾ・ソプラノ)ほか。指揮はイタリアのオペラ指揮者エンリケ・マッツォーラ。管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団。5月14日(水)、17日(土)、21日(水)、24日(土)の全4公演。東京・初台の新国立劇場オペラパレスで。
取材・文:宮本明
ジャコモ・プッチーニ
蝶々夫人
■チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2556450
5月14日(水)18:30
5月17日(土)14:00
5月21日(水)14:00
5月24日(土)14:00
新国立劇場 オペラパレス