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高橋一生が今、思うこと「世間のイメージに逆らい続けることが、消費に抗う最善の方法」

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インタビュー

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高橋一生 (撮影/堺優史)

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気がつけば、もう随分と長い間、私たちは高橋一生を見ている気がする。『カルテット』でファンの心を掴み、『おんな城主 直虎』で視聴者を涙の奈落へと突き落とし、ライフワークとなりつつある『岸辺露伴は動かない』シリーズでは、熱烈な原作ファンの期待を上回り続けている。

人気ドラマ『民王』から10年。高橋一生は世間のニーズに応えつつ、決して消費されることなく、自らを巧みにプロデュースしてきたようにも思える。そこには、高橋一生による“高橋一生論”があった。

集団が残した記録と、個人に残る記憶は違う

1972年、沖縄返還。日本史の授業でそう習った人も多いだろう。だが、この物語の主人公・真栄田太一は「返還ではなく復帰だ」と言う。そのニュアンスの違いに、あの時代を生きた沖縄の人々の思いが込められている気がした。

車道は、アメリカ式の右側通行から左側通行へ。貨幣もドルから円に切り替わる。歴史的転換点を目前に控えたある日、沖縄内に流通するドル札を回収していた銀行の現金輸送車が襲われ、100万ドルが強奪された。『連続ドラマW 1972 渚の螢火』は、「沖縄本土復帰」という年表の一行に隠された“うちなんちゅ(沖縄生まれの人)”の苦悩を描いたクライムサスペンスだ。

「もともと沖縄が好きで、よく旅行にも行っていたので、そうした沖縄の歴史や背景についても自然と関心を寄せるようになっていました」

主人公・真栄田太一を演じた高橋一生はそう語る。

「ただ、教科書で教わったことや自分が想像したものと、実際にそれを経験した人の体感はきっと違うはず。だから、できる限り現地の人に話を聞いて臨みたいなと思っていました」

すると、思わぬ僥倖が訪れた。偶然、かつて「戦果アギヤー」をしていた人から話を聞く機会を得たのだ。戦果アギヤーとは、終戦間もない沖縄で、生きるために米軍基地から物資を略奪していた若者たちのこと。高橋が出会ったその人は、基地に忍び込んだ結果、米軍兵に見つかったのだという。

「一体どんな制裁を受けるのか。厳しい罰を受けて、もしかしたら殺されるかもしれない。その方はまだ子どもだったそうですが、異なる人種の大人たちに囲まれ、これは大変なことになったなと怯えながら、応接室のようなところに通されたそうです。そしたら、目の前にポップコーンサイズのコーラが出てきて。向こうの司令官はなんと言ったと思います?」

まるで一人芝居のようななめらかな語り口で、その場の情景を再現し、高橋はこちらに目を向けた。

「『これを一気飲みしたら帰してやる』と言ったそうです。そのやりとりが、僕のイメージしていた米軍のそれとはかけ離れていて。集団が残した記録と、個人に残る記憶は違う。どれだけ文献にあたって歴史を学んだとしても、実態は現地に行ってみないとわからないんだと実感しました」

沖縄とアメリカに関する問題は、本土復帰から50年余りが過ぎた今もなお根深く温存し続けている。その複雑さから、どうしても主語が大きくなってしまうが、そこからこぼれ落ちたものの中に一人ひとりの真実がある。

「アメリカ云々と大きな尺度で語りはじめたらキリがなくて。最終的にはやっぱり相対した人によるんです。少なくとも、僕がお話を聞いたその男性の方が体感した本土復帰前夜の世界は、僕の想像していたものとは圧倒的に彩度が違った。今回、撮影のために約1ヶ月沖縄で過ごさせてもらったんですけれど、いろんな人から話を聞くたびに、どんどん僕の中で当時の景色がビビットになった。それは、真栄田を演じる上で大きな助けになりました」

今の僕たちは権力と戦う思考すら奪われている

本土の人間から見れば同じ“沖縄の人”。だが、彼らの中でも本島の人間と離島の人間ではまた異なる集団意識がある。真栄田は石垣島出身。さらに、大学は東京に進学し、当時珍しかった大卒として琉球警察へ入署。警視庁への派遣の後、琉球警察へ戻ってきた真栄田を、地元の刑事たちは「内地の人」と快く思っていなかった。沖縄の人間でありながら、沖縄の人間ではない。強奪事件の真相が縦糸なら、真栄田のアイデンティティの葛藤が横糸となって、壮大なタペストリーを編み上げている。

「真栄田のアイデンティティの揺れは、当時の国家としての日本と重なっている部分があるなと感じました。ある意味、日本の縮図的なものが真栄田につめこまれていたのではないかと」

70年安保に社会が揺れ、若者たちによるデモが激化。連合赤軍によるあさま山荘事件が発生したのは1972年2月のことだった。

「思想と思想がぶつかり合い、本気で国家を転覆できると信じて活動していた人もいたと思うんです。それくらい、国家としてのアイデンティティが揺れていた。けれど時は過ぎ令和となった今、かつての活動家と同じような手段で抗議しても、国のアイデンティティを揺るがすことはできないし、今の権力体制をひっくり返すには別のアプローチが必要。でも、それだけの体力が今の人たちにあるかというと、多くの人が目先のことでいっぱいいっぱいで、その思考すら奪われている。今の僕たちとあの時代の彼らとでは生き方がまるで違う。これは、日本人が日本人として生きていくためには、うちなんちゅがうちなんちゅとして生きていくためには、ということをそれぞれが考えていた時代の物語なんです」

そんな真栄田のアイデンティティの揺れを表現するために、高橋はある試みを加えた。東京帰りの真栄田は、沖縄でも標準語を通している。ただし、あるシーンで感情を爆発させるときだけ、“うちなーぐち(沖縄言葉)”に戻るのだ。

「方言指導をしてくださった出演者のベンビーさんに『正確なうちなーぐちではないようにしたいんです』と相談しました。絵の具と絵の具が混ざり合うように、長い東京生活の末、自分がどこの人間なのかということがわからなくなって、取り返しがつかなくなってしまっている不可逆の状態を、一瞬の言葉で出せないかなと思ったんです。だから、あそこはリアルなうちなーぐちではなくて。どのくらいであれば、生粋のうちなーぐちに聞こえないか、ベンビーさんに確認し、微妙なバランスを調整しながら演じました」

世間に発見されたことで、やりたかったことに手が届いた

高橋一生の俳優人生は、長い。映画初出演は、1990年の『ほしをつぐもの』。2001年に劇団扉座に入団。以降、舞台と映像の両軸で出演作を重ねたが、長らく高橋一生という俳優は、玄人好みの“知る人ぞ知る”存在だった。

2015年には人気ドラマ『民王』に出演し、注目を浴びた。もう10年も前のことだ。「10年前になるんですか。あはは。そっか」と、どこか遠い出来事のように笑う。“世間に見つかる”という特殊な状況を、当事者はどのように捉えていたのだろうか。

「ありがたいことでしたよ。僕自身は発見されたかったのか、発見されたくなかったのか、今となってはわからないですけれど、発見されたことによって、明らかに自分がやりたかったことには手が届いた。発見されることって、いい面も悪い面も両方あると思います」

俳優は、オファーがあって成り立つ仕事。演技力さえあれば、やりたい仕事ができるわけではない。知名度や集客力。数字がなければ、エントリー権さえ掴めない厳しい世界だ。

「そのやりたいことの中でも、本当に自分がやりたいのはごく一部。大きな枠の中の小さな点でしかないということは当時から自覚していました。ただ、その小さな点に届くためには、みなさんに認知されることが必要で、その確率を上げたいということは考えていた記憶があります」

2017年には、オリコン調査による同年の上半期ブレイク俳優ランキングで1位を獲得。恋人にしたいランキングなど、これまであまり馴染みのなかったチャートにも数多くランクイン。時代の顔として雑誌の表紙を飾り、多数の作品に出演した。

「今となっては、そうやってたくさんの人に見つけてもらえたことが果たして自分の今後のキャリアにどう響いてくるかは、正直見当もつきません。これから先、お芝居をやっていくにあたって、もしかしたらあれさえやっていなければと悔やむことが出てくるかもしれません。時代によって捉え方は変わる。しかも、どう捉えられるかはその時代の人たちの感覚や空気によるところも大きくて、僕にはコントロールできない。だから、最終的に自分にとってどうだったかというジャッジは点では測れなくて。全体の流れの中で見ていくしかないだろうなと感じています」

俳優として燃焼できればポジショニングにはこだわらない

世間は、いつだって気まぐれだ。誰かを人気者ともてはやしながら、あっという間に風向きを変える。けれど、高橋一生は一過性のブームに消費されることなく、俳優として不動の地位を築いた。

多忙なスケジュールの中、自分が消費される不安に駆られたことはなかったか。そう尋ねると、高橋は「消費されることは全然いいんです」と悠然と微笑んだ。

「僕が大事にしているのは、俳優としてちゃんと燃焼できるかどうか。自分が心を燃やせるなと思うものの中に身を置いていたい。燃焼できるのであれば、舞台も映像も、別にポジショニングにこだわっているわけでもないんです」

世間的な人気は、やりたい役や作品にエントリーするための資格証明書でしかない。高橋一生は、昔も今もずっと己の身を賭す価値のある作品を、ただただ面白いと思える役を欲しているだけだ。

「ただ、僕ってどこかで天邪鬼なので、多くの人がが絶対これをやったほうがいいという正解や王道のルートがあまり好きではないんです。やれと言われれば言われるほど、そうではない道を選択するタイプ。それに、そうやってあえて逆方向に進んでいったほうが、僕という存在の摩耗する速度も、ある程度抑えられるんじゃないかなという気がしています」

みんなが見たい、わかりやすい高橋一生ではなく。誰も予想していなかった高橋一生を開拓し続ける。やっぱりこの人の根っこにあるのは、異端者の気質なのだ。

「そのほうが、僕が僕に飽きずにすむ。世間のみなさんが期待する『高橋一生はこうであろう』というイメージに逆らい続けることで、モチベーションが生まれるんです。そして、きっとそれこそが今の僕にできる消費に抗う最善の方法かなと感じています」

次の10年で、高橋一生は何を見せてくれるのか。きっとそのたびに、私たちは欺かれたような衝撃と快感を味わうだろう。高橋一生に翻弄されることが、高橋一生を追う歓びだ。


<公演情報>
「連続ドラマW 1972 渚の螢火」(いち・きゅう・なな・に・なぎさのけいか)

10月19日(日) スタート
毎週日曜午後10:00放送・配信(全5話)【第1話無料放送】

<ストーリー>
1972 年、本土復帰を間近に控えた沖縄で、100 万ドルの米ドル札を積んだ現金輸送車が襲われ行方を絶った。円ドル交換が完全な形で遂行できなければ日米外交紛争に発展しかねないと、琉球警察はこれを秘密裏に解決する特別対策室を編成した。班長に任命されたのは警視庁派遣から沖縄に戻ってきた真栄田(高橋一生)。そのほか、同級生でありながら真栄田をライバル視する捜査一課班長・与那覇(青木崇高)、そして定年を控えたベテランの玉城(小林薫)をはじめとするたった5人のメンバー。事件解決のタイムリミットは本土復帰まで18日間。捜査を進めるうちに、事態は沖縄財界や地元ギャング、さらには米軍関係者を巻き込み、二転三転していく……。真栄田らは期限までに 100 万ドルを取り戻し、犯人を捕らえることができるのか——。沖縄の未来を懸けた戦いが始まる!

出演:高橋一生
青木崇高 城田優
清島千楓 嘉島陸 佐久本宝 広田亮平 MAAKIII 北香那 Jeffrey Rowe 藤木志ぃさー ベンガル
沢村一樹 小林薫

原作:坂上泉『渚の螢火』(双葉文庫刊) 監督:平山秀幸 脚本:常盤司郎 倉田健次

公式サイト: https://www.wowow.co.jp/drama/original/1972nagisanokeika/


撮影/堺優史、取材・文/横川良明
ヘアメイク/田中真維(MARVEE)
スタイリスト/小林新(UM)

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