イッセー尾形「宮沢賢治を理解するのではなく、彼を通して自分を知る」 一人芝居ツアーは12月の有楽町がラストラン
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インタビュー

イッセー尾形
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すべて見る2025年4月、宮沢賢治作品に想を得た短編小説集『人情列車』を上梓したイッセー尾形。その刊行を記念して『イッセー尾形の右往沙翁劇場 番外編 銀河鉄道に乗って』と銘打ち、現在、全国9公演のツアーを敢行中だ。全国ツアーの掉尾を飾るのは、12月の有楽町朝日ホール。ツアーも折返し地点を過ぎ、一人芝居の第一人者として知られるイッセーに、今回の公演をはじめ、人物造形に人間観察を一切用いないことなど、創作現場の話も詳しく聞いた。
「なんとなく知っているレベル」の宮沢賢治と格闘する日々
――『人情列車』は月刊誌『Coyote』での連載をもとにした短編集です。それにしても、なぜ宮沢賢治を題材にしたのでしょうか。
イッセー尾形 以前、『人情列車』と同じ担当者から月イチで短編集を依頼されたときも、「シェイクスピアを題材に」と、お題を出されたんです。そうしたら「次は宮沢賢治で」と。担当者が宮沢賢治を大好きだったからという理由が大きいと思いますが、賢治ゆかりの地である花巻への旅をきっかけに連載がスタートしました。
僕自身は、宮沢賢治を「なんとなく知っている」というレベル。だから改めて一生懸命読んで、再吸収しました。賢治作品を通じて感じたのは、生命力。読んでいると、どこまでも自分の中に力が湧いてくるんですね。だから宮沢賢治そのものを理解するんじゃなくて、賢治を通して自分を理解しようと。そして「自分に正直であれ」ということを教わった気がしました。「自分に正直であれ」は、僕の中でも目標にしていることのひとつでしたから。
――連載中も、そして現在も舞台の上で宮沢賢治と格闘中です。ご自身と宮沢賢治の親和性は、どのようなところに感じていますか?
イッセー尾形 作品そのものに向き合った物語の作り手というところでしょうか。作者のメッセージを伝えたいがために、手段として物語を書く方もいらっしゃいますが、賢治も僕もそうじゃない。僕は生身の人間を描くことを生業として、一人芝居がしたくてネタを作っているので、そういうところに親和性を感じました。

人物造形はたったひとつのフレーズから
――今回上演するネタについて、少しだけヒントを教えてください。
イッセー尾形 全部で7本あるのですが、最初に思いついたのは最後に演じる浅川マキ風の歌ネタです。「ブルースを歌うこの人も、やっぱり宮沢賢治を歌うんだ……」みたいな(笑)。タイトルにもある通り、銀河鉄道にも乗りますし、車掌さんも出てきます。『銀河鉄道の夜』はタイタニック号沈没事故をモチーフにして描かれているので、タイタニック号に乗っている子も出てきますし。賢治作品のいろんな登場人物が出てきますよ。
――7本の中で、昨年までとは違う方法で人物造形が出来たネタはありましたか?
イッセー尾形 移住希望の田舎のおばあさんの話です。彼女に役所までの道のりをいろいろと教えるんですが、おばあさんがその一部始終を独りで全部語るんですね。とにかく過剰な人で、もう喋りたいだけ喋る。これは今までになかった役柄だと思います。普段のネタは、もっと他者とのやり取りがあるんですが、このおばあさんに関しては一切なし。自分で演じていて、次から次へと語りたくなる衝動が湧き上がってくるんですね。その内なるエネルギーに巡り会えたことは、今までに体感しなかったことですね。

――イッセーさんは以前、人物造形をする際、ひとつのフレーズから組み立てていくお話をされていました。今でも人物造形の方法は変わらないですか?
イッセー尾形 今でも変わらないですね。基本、そういう作り方をした方が、ネタとして出来上がったときに物語として強いんですね。文章を語るとき、自然と音や声が発生しますよね。例えば「今は忙しい」と伝えるシチュエーションで、お母さんが家の中で家族に聞こえるように「今は忙しいのよ!」と言う場合もあれば、年配の男性が呟くように「今は忙しいんだよ……」と言う場合もある。僕の場合は、ひとつの文章を書くと、音と内容が一緒に頭の中に浮かぶ。そういうネタの種みたいなのが5個ぐらい浮かぶと、点と点を繋ぐように人物像が出来上がってきます。「やっぱり人間は言葉だ」っていうのが、僕の根本にあるみたいです。それを立体化させるのは、役者しかいないわけですが。
人間観察は一切しない。人物造形で大事なこととは
――もう少しだけ、ネタの創作現場についての質問をさせてください。イッセーさんはネタを作るにあたって、人間観察をしないと以前おっしゃっていましたね。
イッセー尾形 人間観察はしないですね。観察をすると、自分の目で見たものを正解にしようとしてしまう。そうすると、演じている今の自分とズレるでしょう? お客さまは、そこを見るんですよ。「今、イッセー尾形と役がズレたでしょ?」って。そのズレは舞台上でも感じますし、そういうことをすると、自分でもなんだか苦しいんですよ。役と自分が一致していないから。
例えば、おばあさんの人物造形をするとして、最初におばあさんのセリフやモチーフを羅列します。すると、自分の中におばあさんをイメージする声が浮かんでくる。実際にその役になって演じる。そうすると、セリフとセリフの間には、間があるんですよ。その間は、生身の演じ方で埋めるしかない。そして、埋め方の正解はないんですよ。
今日はこう埋めた。明日はああして埋めるかもしれない。日ごとに埋め方が変わっていくんですね。最終的に人物造形をするうえで、言葉と言葉の間を埋めるのは生身の自分なんです。その生身の僕をお客さまが観るから、観客が感じる舞台の良し悪しの目安は、僕が肌で感じた感覚でしかないんですよ。
だから一人芝居は、まさにライブそのものですね。舞台が生きている、ステージ上で人物が生きている、演じ手の僕が生きている。3つの「生きている」がひとつにならなきゃいけない。そうしないと、ただのお説教になっちゃうから。なんだかもう、こうやって話すと、神業に近いですね(笑)。
――そのような神業に近いことを、現在は演出もご自身でされています。2018年に亡くなられた演出家の森田雄三さんと以前は長年タッグを組まれ、フリーになって改めて一人芝居について感じられたことはどんなことでしたか?
イッセー尾形 「自分の正体を見れば、こんなものか……」みたいな感覚でしたね。演出家がいると客観性が担保できるということよりも、演出家の意見もたまたまの解釈に過ぎなかったということが自ずとわかったことでしょうね。演出家の演出もたまたまの解釈。僕の演技もたまたまの演技。だから、本当の意味での自分を見た。そこがわかったことが大きいような気がしています。

若い男性が笑わない。この2〜3年で感じた舞台上の感覚
――最後にお伺いします。他者への想像力が働かず、自分のことばかり考える人が増えてきた昨今、ユーモアを携えた一人芝居を作るのは、本当に難しい時代になってきましたね。
イッセー尾形 そうですね。笑えない時代ですよね。笑えなくなっちゃった時代をどう笑うかは、難問中の難問ですね。
現代人のエゴが一気に花開いたのはスマホが登場したからだと、僕は感じています。スマホでみんな、エゴに気づいちゃった。エゴって笑えないんですよ。エゴは拒否反応を生む。拒否反応は、他者への嫌悪感を生む。だから負の連鎖なんです。
今、僕は「若い男性を演じてみたい」という欲求があります。若い男って、笑うに笑えないんですよ。そこが難しい。
笑いは、人と人との間にあるズレから生まれます。例えばおじいさんを演じる場合、おじいさんの下にいる人が彼にゴマをする。すると、対比でおじいさんのバカさ加減が見えてくる。そういうズレから笑いは起きる。でも若い男性の周りには、若い人間しかいない。人物造形をしようにも、ズレが生じない。だから、若い男性を描きながらこのズレをどうやって見つけるかが問題です。
去年、一昨年ぐらいから、若い男性が笑っていないというのを舞台上で感じることがありました。それで何度も台本を書き換えた作品もあります。どうやったら若い男性を演じながら、笑えるネタができるのか。答えはまだ見つかっていないんですが、目下、自分の中の最大のテーマですね。

取材・文/横山由希路
撮影/牧野健人
<公演情報>
『イッセー尾形の右往沙翁劇場 番外編 銀河鉄道に乗って』
[作・演出・出演]イッセー尾形
■盛岡公演
日程:2025年10月4日(土)・5日(日)
会場:盛岡劇場 メインホール
■京都公演
日程:2025年10月24日(金)・25日(土)
会場:京都府立文化芸術会館
■神戸公演
日程:2025年11月14日(金)~16日(日)
会場:神戸朝日ホール
■東京公演
日程:2025年12月5日(金)~7日(日)
会場:有楽町朝日ホール
チケット情報:
https://w.pia.jp/t/issey-ogata/
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