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【レポート】「京都ぴあフィルムフェスティバル2025」オープニング作品『MOMENT』手塚眞監督上映後トーク開催

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オープニング作品『MOMENT』手塚眞監督上映後トークより

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「京都ぴあフィルムフェスティバル2025」が、11月13日(木)に開幕。手塚眞監督の伝説の自主映画『MOMENT』がオープニング作品として上映され、平日の日中にも関わらず、会場には多くの映画ファンが集結した。ここでは、上映後に行われた手塚眞監督のトークイベントの模様を紹介する。

当時、京都で『MOMENT』の上映会を行っていた手塚は「当時は学生映画がすごく流行っていた」と言い、「大学の映画研究会から上映依頼があって、全国の映研を周った」と振り返り、「商業映画ではないけれども、ちゃんとお客さんに観せるという意識があったので、自分たちでも上映会を企画していた。当時、京都では3回ぐらい上映したと思う。京大の西部講堂と河原町の『VOX』の上のホールで上映したのを覚えてます」と当時を懐かしんでいた。

上映会については「当時は学生たちが作品を観せようと思うと、自分たちで上映会を開くしかなかった。違うところで活動してる人を招いて、一生懸命宣伝して、少しでも謝礼を払えるように有料で上映していた。その覚悟が印象的だった」と振り返ると、PFF荒木ディレクターも「自主映画だと無料だと思ってる方が世の中には多い。だから私たちは有料上映を根付かせようとしています」と同意。そして、手塚監督は「この映画は純粋に経費として70万かかった。2年間上映して周ってプラスになりました」と明かした。

さらに、「8mmは世界に1本しかないはずなんですが、当時、プリントをつくることができた。オリジナルはネガ扱いでほとんど上映してない。だから、今日の映画も40数年前のものでも割と綺麗だったと思う。このフィルムはほとんど上映してないので傷も少なかった」と秘密を明かした。

本作のアイデアは「18歳の時に思いついて、受験勉強の合間にひと晩で脚本を書き上げて、高校時代に知り合った自主映画の仲間に見せて、受験に受かって大学に入ってすぐにつくり始めた」そう。制作期間は「ひと夏でつくるつもりが、1年近くかかった」と言い、「後半は編集作業がメインだったので、撮影自体は2カ月ぐらいだった」と明かした。

特に、大勢でミュージカル風に踊るシーンは「数百人集めるつもりで、当時、雑誌『ぴあ』の自主上映欄に載っていた自主映画の団体にエキストラの協力を呼びかけた」そう。「100人以上集まったのに、撮影日がたまたま大雨で延期になった。何回か延期したら、あきれられてしまって最後は20人ぐらいになった(笑)」と、苦笑いしながら裏話を語る場面も。

それでもすごく迫力のあるシーンになっているが、それは「音楽に迫力があるからだと思う」と分析し、「音楽は全てこの映画のためのオリジナル。当時の学生映画は既成の曲を使うことが多かった。でも、そうすると後々、権利問題があるから上映できなくなる。僕が高校で映画をつくり始めた時に、先輩で音楽をやってる人がいたので、1本目から音楽はオリジナルだった」と、当時から音楽の使い方は意識していたそう。

また、出演者ひとりである船越英一郎さんについては「同じ日大芸術学部のひとつ先輩だった」と明かし、「彼は演劇をやっていたので、最初からキャスティングしていた」。残りの出演者については「学校の中で探そう」と思ったそうで、「入学式の日に船越さんと一緒に校門で新入生をチェックして、いい子がいれば、その場でスカウトしようと思って、映画のスタッフと3人で見ていたが、3人とも目が厳しくて見つからなかった(笑)」と、青春の思い出を振り返っていた。

大学時代は、「商業映画もつくり始めて、テレビの仕事もあって、在学中にプロになってしまったので日芸は中退した」と明かし、先生から呼び出されて、「単位を取りきれないから卒業できない」と言われて、翌週に退学届を出したそうだが、「親は嘆きました。僕の父は漫画を描いてましたが、阪大医学部を出たのが誇りだったので、大学ぐらいは出ておいた方がいい」と言われたという。「当時は、日芸映画学科は中退した人の方が出世するというジンクスがあった」と言いながらも、「今の若い方には勧められません」と苦笑いで戒めていた。

観客からの質問では、劇中の「安易で無責任な自主映画に過ぎない」という台詞について質問されると、「『安易で無責任』というのは、大島渚監督が若い監督の映画を観ておっしゃった言葉」だと明かし、「今の若い方を安易だとも無責任だとも思いません。むしろ、責任を持って、人に観せるということを意識してつくってる。ただ、時々若い方の作品を観た時に、この人はどのぐらい映画が好きなんだろうか、と感じる。映画をつくりたいと言うことは映画が好きなんだと思うが、好きというのはまず観ることから」とアドバイス。

続けて、「僕は、いろんな映画を観ようと思って、その時上映されてる映画だけでなく、生まれる前の古い映画もたくさん観て、いろんな映画を観れば観るほど勉強になった。特に、映画の本質はサイレント映画にあると思う。今でもサイレント映画を観ると勉強になると感じるので、若い方にはもっともっと映画を観てほしい。何が映画なのか、頭の中においてほしいと思う。そういうことを考えている人の映画は残るんです。映画というものを学んでほしいという気持ちは強いです。とにかくいろんなものを観てほしい」と熱弁。

さらに、「若い頃に観た好きなものが必ず作品に現れるので、古い映画を観てると、素晴らしい世界的な巨匠の大ヒット作の元はこれだったとわかる。この監督はこの作品に対する自分なりの答えとして演出したことがわかると、映画の歴史が見えてくるんです。その歴史の中で映画をつくってるという自覚が芽生えてくる。脈々と続く映画の歴史の中に自分もいるんだと気持ちが芽生えてくると、余計に映画に対する愛着が湧いてきて、もっとやりたいという気持ちが出てくると思う」と、映画の歴史の中に自分もいるという意識の大切さを説いていた。

次に、本作のスペシャルサンクスに登場する有名な方々の名前について質問されると、「若い頃に観た映画にゲストスターの名前があって、カメオ出演していた。それが好きだったので、やってみたかった」と言い、「この映画にいろんな方が出ているのは、ただ有名なだけではなく、どこかで関係した人たちの名前」だと説明し、「当時、僕は学生映画の中では名が知られていたので、テレビ番組に出ることもあって、テレビ局に行くといろんな芸能人の方がいて、そこで出会った方にその場でお願いした。その場で頼み込んでも出てくれたので、いい時代だったと思う」と笑顔を見せた。

さらに、「撮影していた場所の近くに住んでいた、作家の横溝正史さんが、たまたま散歩していて声をかけたら、出てくださった。学生がそういうことをしてるのを応援しようという、いい時代だったと思う(笑)」と裏話を明かした。

また、劇中の一部を手塚の実家で撮影したことを明かし、「主人公の女の子の部屋は僕の部屋なんです。撮影期間中は女の子の部屋に飾り替えて、そこで寝てました」と笑顔で話し、だから「あの家は手塚治虫の家です」と笑い、「撮影中も時々、父親が家に帰ってきて『ご苦労様』と言ってました」と振り返った上で、「手塚治虫が住んでた家の映像はなかなかないと思うので、後々、貴重になると思う」と語り、「もうなくなってしまった東京の伝説の映画館が映っているのも、記録として貴重だと思う」と、今はもう見ることのできない風景を記録するという映画の意義にも触れていた。

最後に、本作の関係者が来場していることを明かし、プロデューサー的な存在だった湯本さんと、主演の矢野ひろみさんを紹介すると、場内からは拍手が。手塚監督が「40年以上経って、こうやって皆に集まってもらえるのは、映画ってすごいと思う」と、改めて映画というものの偉大さを噛みしめ、「今回、PFFさんのご協力とハーバード大学のおかげで、アメリカにデータが残りましたから、ハーバード大学が滅びない限りは、この作品は残るので良かったなと思ってます」と、ハーバード大学の自主映画アーカイブプロジェクトにより、デジタル化された経緯について話し、イベントを締めくくった。

『MOMENT』

「京都ぴあフィルムフェスティバル2025」は、京都文化博物館で11月16日(日)まで開催中。4日間で、全23作品を上映、15名のゲストが来場する。

<イベント情報>
『京都ぴあフィルムフェスティバル2025』

11月13日(木)~16日(日)京都文化博物館

公式サイト:
https://pff.jp/47th/kyoto/

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