トリックスターとして、師匠・立川談志に迫る強烈さ! ──快楽亭ブラックの破天荒一代記『落語家の業』【おとなの映画ガイド】
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『落語家の業』
続きを読むコンプライアンス? 18禁? 放送コード? お構いなしにすべてをお笑いの種にしてしまう過激な芸で、テレビはもちろん、寄席でもあまり観ることができない、異色の落語家、快楽亭ブラック。彼を追った映画『落語家の業』が、12月13日(土)から、渋谷のユーロスペースを皮切りに公開される。立川談志の弟子になるも破門、7年後に門下に戻れたものの、いろいろあって事実上の除名。愛してやまないものは著書もあるほど造詣が深い日本映画と歌舞伎、そしてギャンブル。なんだかとんでもない落語家の生き様を映したドキュメンタリーだ。
『落語家の業』
YouTubeにいくつかアップされているが、快楽亭ブラックのネタは多岐にわたる。最近では、国分太一、映画『国宝』、参政党……以前、中居正広のトラブルを扱ってバズったこともある。世間が話題にするキワモノネタが多いが、その内容は、こちらに書くことができないほど。
本名は福田秀文、1952年に東京で生まれた。父親は在日米軍の兵士、母親は青森県出身の日本人。父が早くに亡くなったこともあり、英語は全く話せない。

1969年に七代目立川談志に入門し、容姿を生かした前座名:立川ワシントンから始まる。しかし、師匠の銀行口座の金を競馬に使い込み、3年で破門。大阪に流れ、桂三枝(現文枝)に弟子入り。7年後、談志師匠に許されて東京に戻っている。
「改名回数が多かった古今亭志ん生(志ん朝の父)の記録を超えろ」という師匠の命で、立川カメレオン、立川レーガン、平成になったら立川平成など、16回改名を繰り返し、1992年、快楽亭ブラック名で真打に昇進。明治時代に実在した英国人の噺家の名だそうで、彼は二代目ってことになる。

どうして落語家になったのかは本作の中で語っているから、あえてここでは紹介しない。本来は映画の道に進みたかったようだ。子どもの頃、辛い時に彼の逃げ込める場所は映画館の暗闇、そこでいくつもの作品を鑑賞しているうちにのめり込んだ。特に好きだったのは時代劇。「映画を観る時間がなくなるので、売れたくない」と語っているが、冗談でもなさそうだ。
実際、映画雑誌で映画鑑賞記録を連載したり、『日本映画に愛の鞭とロウソクを』という著書もある。俳優としてもデビュー、しかしまたこれがピンク映画にも出演したから、クセ強なのである。ご縁で、日活ロマンポルノ女優と結婚、子どもも授かるが、同居の義母にいびりだされ離婚。歌舞伎にも精通していて、交友関係は広い。
本業の落語では、1990年に国立演芸場若手花形演芸大賞で金賞を受賞し、真打ちになってからも、2000年に芸術祭優秀賞受賞など、輝かしい履歴が残っている。なのに、なぜだ? 映像で垣間見せてくれる高座は、劇薬に近い、毒のあるキョーレツなものばかり。

ところで、本作にはいかにもブラック師匠らしい、お騒がせ事件がふたつ描かれている。
ひとつは、2014年の名古屋・大須演芸場で起こった閉場騒ぎ。2005年にまたも金が絡む問題を起こし、立川談志から事実上除名されたブラックは、その頃、名古屋を拠点にしていて、この演芸場の楽屋に寝泊まりしていたのだが、経営難で演芸場が閉鎖されることに。師匠が高座で一席伺っている最中、賃料滞納による建物明け渡しの強制執行が行われたのだ。座席奥から舞台に「まった、まった!」と詰め寄り、芸を止めにかかる執行官……。大混乱のなか、少しも動揺した様子を見せないブラックが、その全てを笑いに変えていく姿は圧巻だ。

もうひとつは、2021年に、元弟子から損害賠償を求められた訴訟の顛末。コロナ禍の緊急事態宣言で、落語会が開催できない中、生活のために落語の生配信を始めたが、その内容を弟子に咎められて裁判にまで発展してしまったのだ。ブラックは、「被告福田(本名)」と一時的に芸名を変えて闘いながら、それさえ笑いに変えている。この配信を担っていたのが本作の監督、榎園喬介。裁判中の活動や、高座での謝罪中継などをネタとして、カメラに収めていった。

立川談志は、「落語とは、人間の業の肯定である」という名言を残した。快楽亭ブラックは、「全ての出来事を笑い飛ばす了見を〈粋〉と言う」と受ける。
天才・立川談志の落語芸は、立川志の輔、談春、志らくといった名人たちに見事に引き継がれた。一方で、狂気に近い、恐れを知らぬ、いまなら炎上必至の言動で物議を醸し続けた、トリックスター(いたずら者)立川談志の遺伝子は、快楽亭ブラックに引き継がれた、というふうにもとれる。
このすさまじい生き様を、どう感じるかは人それぞれ。それにしても「落語家の業」、すごいタイトルである。
文=坂口英明(ぴあ編集部)

