『俺たちの旅』の衣装は自前、セリフは即興! 中村雅俊と田中健が語る五十年前の破天荒すぎる撮影秘話
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『五十年目の俺たちの旅』公開記念舞台挨拶より
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すべて見る映画『五十年目の俺たちの旅』の公開記念舞台挨拶が1月12日東京・吉祥寺オデヲンにて実施され、中村雅俊、田中健が登壇した。
本作は、1975年10月から日本テレビ系列で放送されたドラマの初の劇場版で、中村雅俊演じるカースケ(津村浩介)、秋野太作演じるグズ六(熊沢伸六)、田中健演じるオメダ(中谷隆夫)による青春群像劇。放送開始から50周年を迎え、20年ぶりの続編が銀幕に登場する。
『俺たちの旅』の劇中には、井の頭恩賜公園やサンロード商店街、ハモニカ横丁など、吉祥寺周辺の景色が多数登場。ファンの間でもロケ地めぐりが盛んに行われるなど、聖地化している。この日は、『俺たちの旅』の聖地である吉祥寺で営業する映画館・吉祥寺オデヲンの3スクリーンをジャック。チケットは全席完売で、満席の会場はファンの熱気に包まれていた。
この日は、グズ六役の秋野太作も登壇予定だったが、連日の宣伝活動により疲れがたまっていたということで残念ながら欠席。中村も「何しろ、あの方は82歳ですからね。ちょっとご勘弁をということで、よろしくお願いします」と秋野の登壇を楽しみにしていたファンに向けて呼びかけるひと幕もあった。
そして、あらためて会場に向けて中村が「上映が終わって、皆さんが今どういう感想をお持ちなのか。ひとりひとりにお聞きしたい感じなのですが……どうだったでしょうか?」と尋ねると、会場からは万雷の拍手が。その様子に中村も「拍手で伝わってきました。安心しました。ありがとうございます」と笑顔を見せた。
会場を見渡した田中も「うれしいね……。僕らにとって、ここは本当に聖地なんです。当時はほとんど毎日ここに来ていました。この吉祥寺というロケ地から始まって、50年たって自分たちの作品がこれほど認知され、愛されてきたんだなというのを感じています」としみじみ語った。
そんな田中に向かって「健ちゃんとの出会いも、ここ吉祥寺だったんですよ」と明かした中村。「そうなんです。撮影初日に『今日、中村くんと会いますから』と言われて喫茶店へ行きました」と田中が振り返ると、中村も「駅の近くの階段に座って待っていたのを覚えています。それから喫茶店に行ったのを覚えてます」と述懐。
さらに「パッと見たら、下駄だったんですよ。本当に下駄を履いているんだと思った」と懐かしそうに笑った田中は、あれから50年以上たっているということに感慨深い様子を見せると、「それくらい衝撃的な出会いだったのかもしれません。まさかこんなことになるとは思わなかったですね」としみじみと付け加えた。

等身大の大学生を描いた作品ということもあってか、当時の衣装は自前だったと語るふたり。「撮影が終わってもそのままで帰って。翌日もそのままの格好で撮影所に行くという感じでしたね。本当に楽しかったです。撮影が終わってもテンションが上がっていて、“そのまま飲みに行こうか”ということになった」と振り返った中村は、「撮影が終わってふたりで飲みに行って。店にギターがあるとふたりで弾いて歌って。そのまま二日酔いの状態で次の日の撮影に行くこともありました。当時の監督は『セリフは覚えてこなくていい』と言ってくれていて、その場でセリフを作ってしまうこともありました。今の役者さんは皆さんちゃんと覚えていきますけど、僕らは覚えなくてよかったんです」と笑ってみせた。
くしくもこの日は成人の日だったが、ふたりに成人式の思い出を尋ねることに。まずは中村が「僕は成人式には行きませんでした。デビューは大学を卒業してからだったので、当時はまだデビューしていなかったんです。僕は宮城県の女川という港町の出身で。そこでも成人式をしていたんでしょうけど、当時は東京にいて、貧乏大学生でした」と述懐。
だが実は当時、役者志望ではなく外交官志望だったという。「それで英語を勉強するために英会話クラブに入ったのですが、そこで英語劇に没頭してしまった。それがきっかけで今の道につながっています」と自身の転機について明かすひと幕も。
一方の田中は「僕は20歳の時は電気屋でアルバイトもしていました」と回答。それには中村も「電気屋! もう50年以上の付き合いだけど、これは初めて聞きました」と驚きを隠せない様子。「テレビの修理や、扇風機の修理が得意でしたね」と笑った田中に、中村も「僕もテレビや扇風機の修理は得意ですよ。映りが悪くなったら“2回たたけば直る”というのが基本ですから」と続けて会場は大笑い。
当時を振り返った田中は、「僕らのバンドは地元で有名だったので。成人式の日にアトラクションとして演奏してほしいと頼まれたんです。そこで演奏したらうまくいって。『やっぱりもう一度バンドをやろう』と決意しました。そして翌日には電気屋に辞表を出しました」と自身の人生のターニングポイントを明かした。
「考えてみれば俺ら、この吉祥寺でずっと1年間、撮影してたんですよね。3人で肩車をやったのも、すぐそこら辺ですよ」としみじみ振り返った中村。「あれは重かったよね」と笑う田中も「最初、肩車は予定に入っていなくて。サンロードに行ってたら、監督が『ここで肩車をやれ』って」と懐かしそうに語る。
それに補足するように中村が「俺が一番下で、秋野さんが僕の上にいて、一番上が健ちゃん。3人でどこが大変かっていう話をしたことがあったんですけど、三者三様に大変で。俺は俺で百何十キロの重量を担いでいるし。2番目の秋野さんは、下は動くわ上も動くわで不安定だし。健ちゃんは一番上で高いところだったからね」と振り返ると、田中も「でも僕は一番上だから、何かあったら逃げられるなと思ってましたよ」と笑ってみせた。
そんな肩車のオープニングシーンは話題を集めたそうで、「当時は全国から3人で肩車している写真が送られてきました。“俺たちもやった!”みたいな感じで。すごく影響があって、今回もちょっとやらせてもらいました」と中村は語った。
大盛り上がりのイベントもあっという間に終了時間に。最後のコメントを求められた中村は「今日は本当に、来ていただいてありがとうございました。50年前はただただ楽しくて。面白い青春ものというくくりだったんですけど、この50年の間に“青春ドラマの金字塔”と言われるまで成長しました。それは本当に皆さまに愛されていた作品だったというのが一番の理由だと思っています。『五十年目の俺たちの旅』が上映されていますが、何らかの形でまた皆さまの心の中に何かが残る、そういう映画だったらうれしいなと思っています」と会場に呼びかけた。
<作品情報>
『五十年目の俺たちの旅』
公開中
公式サイト:
https://oretabi50th-movie.jp/
(C)「五十年目の俺たちの旅」製作委員会
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