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『田中信太郎――意味から遠く離れて』世田谷美術館で 初期から晩年の金属作品まで、創作の軌跡を辿る

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田中信太郎 《風景は垂直にやってくる》 1985年 日立市郷土博物館 撮影:田村融市郎

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1960年代以降の日本の前衛美術における重要な作家のひとり、田中信太郎の回顧展『田中信太郎―意味から遠く離れて』が4月25日(土)〜6月28日(日)、世田谷美術館で開かれる。田中にとって世田谷は、1960〜70年代にかけて祖師谷にアトリエを構えていたという縁がある。

2019年に他界した田中は、同じことを繰り返すことなく、常に新しい作品のあり方を模索していた。1940年、茨城県日立市に生まれ、19歳になる少し前に上京。ほどなくして「反芸術」と称されていた「ネオ・ダダ」の洗礼を受ける。現代美術家の篠原有司男と行動を共にし、短い熱狂の時間を過ごした。

田中信太郎 《無題D》 1972年 田中信太郎アトリエ 撮影:野口浩史

しかし、田中は大きく制作の方法を転換させ、ハートの形を援用したり、ネオン管を使用したりしたシンプルな形態の作品を発表し、一躍注目を浴びることになる。この時期、デザイナーの倉俣史朗と出会い、互いに刺激し合う関係が生まれる。制作者の感情から離れたところで表現を成立させることを試み始め、1970年に批評家・中原祐介が企画し東京で開かれた国際展「人間と物質」展に参加。パリ青年ビエンナーレやヴェネチア・ビエンナーレなど数々の海外展でも発表を行った。

そんな活躍の最中に現代美術界の喧騒から離れることを選んだ田中は、世田谷からアトリエを日立に移し、内省的な制作環境に身を置くようになる。大病を患った後、1985年、平面と立体を複合的に組み合わせた色彩豊かな作品へとさらに大きく作風を変えて復帰を果たした。

田中信太郎 《長いソナタ》 1988年 株式会社アートフロントギャラリー 撮影:田村融市郎

今回の展覧会では、こうした活動の変遷を、田中が書き留めていた言葉と併せて振り返る。未発表の1970年の絵画作品から、晩年に探究し続けていた平面作品、亡くなるまで継続して制作していた金属によるドローイングまで、アトリエに遺された作品を中心に構成される。常に「視る」ことを基点とし、美術の本質を探究し続けた静かな情熱に胸を打たれることだろう。

<開催情報>
『田中信太郎――意味から遠く離れて』

会期:2026年4月25日(土)〜2026年6月28日(日)
会場:世田谷美術館
時間:10:00~18:00(入場は~17:30)
休館日:月曜、5月7日(木)(※ただし、5月4日(月・祝)は開館)
料金:一般1,400円、65歳以上1,200円、大高生800円、中小生500円
公式サイト:
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/

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