『The Closet Revue』小沢道成がゲイ当事者・山縣真矢と考える、カミングアウトについて
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インタビュー
(撮影:山岸和人)
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すべて見る近年、映画やドラマでLGBTQを題材とした作品が増えている。日本の小劇場シーンにもまた一つゲイの葛藤を描いた作品が誕生した。それが、現在、ザ・スズナリで上演中のEPOCH MAN『The Closet Revue』だ。
カミングアウトをテーマに、若きゲイの青年(阿部顕嵐)と年配のゲイ男性(山崎一)の対話を描いた本作は、当事者/非当事者の垣根をこえて、あらゆる世代の観客に反響を巻き起こしている。
脚本・演出・美術・出演の四役を務める小沢道成は、なぜカミングアウトというテーマに着目したのか。小沢の書いた物語は、観客にどう届いたのか。
NPO法人東京レインボープライドの顧問であり、「結婚の自由をすべての人に」訴訟(同性婚訴訟)の東京二次原告の一人である山縣真矢との対談を通じて、カミングアウトについて考える。
カミングアウトは、することが目的ではない
小沢 今回の『The Closet Revue』は「カミングアウトする」ということについて書いた作品です。山縣さんにもご覧いただきましたが、いかがでしたか。
山縣 観終わった後、すごいものを観たと思いましたし、観ながら自分がカミングアウトしたときのこととか、これまで出会った人たちの顔とか、いろんなことを思い出しました。
この6月に『LGBTヒストリーブック日本編 平等を求めて声をあ上げた人々の闘い』という本を上梓するのですが、この本が、1960年代までの歴史の振り返りから2020年代の現代に至るまでの日本のLGBTQの歩みを通史的にまとめたものなんですね。日本でも長らく同性愛者は「変態」だとか「病気」だとか、そういった視線にさらされていて。僕が阿部顕嵐さんの演じた皓斗と同じ20代の若者だった1990年代はカミングアウトという言葉もまだあまり一般的ではありませんでした。
小沢 そうですよね。
山縣 当時はテレビや新聞といった大手メディアでも、男性同性愛者を侮辱する「ホモ」という言葉が普通に使われていて。映画やドラマで同性愛者が登場するときは、自殺とか悲しい結末を迎えることも多かった。当時に比べると、LGBTQに対する社会的理解も広まって、その存在も可視化されるようになったとは思います。
僕は、東京のプライドパレードの運営に長く携わってきたのですが、『The Closet Revue』を観て、プライドパレードのあの空間は「巨大なクローゼット」なのかもと思いました。みんな、パレードの期間中はわーっと盛り上がるけど、パレードが終わって日常に帰ると、誰にも言えない苦しみが待っている。そこが、あのお店にいるときだけは自分を解放できる感じに似ているなと。ただ、小沢さんが『The Closet Revue』で描いたのは、言わばパレードに来られない人じゃないですか。その視点にハッとさせられました。
小沢 そうですね。自分のセクシュアリティをオープンにしやすくなったのはとてもいいことだし、プライドパレードに参加したり声をあげたりする人たちが増えているのは希望の持てることだと思います。
ただその一方で、カミングアウトしている人たちが格好良く思え、その姿が輝いて見え、カミングアウトできない自分に心を閉ざしてしまう人もいると思っていて。そういう人たちに対して、世間の流れがそうなっているからといって強制される必要はないんだよということを伝えたいなと思って書いたのが、今回の物語です。

山縣 僕のパートナーはクローゼット(性的指向を隠していること)です。だから、小沢さんのおっしゃることはよくわかります。カミングアウトって、することが目的ではなくて。カミングアウトするのかしないのか、葛藤するプロセスがその人の生き方をつくり上げていく。その上で、自分が幸せになれる答えを選べることが大事なんじゃないかと思います。
小沢 きっとこの記事を読んでくださっている方の中には、じゃあ小沢は当事者なのかどうかと考えを巡らせる方もいらっしゃると思うんですね。その問いに対して、今僕がお答えできるのは「ここでは言いません」ということです。なぜなら、僕が当事者なのかどうか、どういった性的指向を抱いているのか、それを顔の見えない不特定多数の人たちに向けて言うのは僕は必要ないなと思っているからです。言いたい人に、言いたいときに言えばいい。何をオープンにして、何をクローズにするかも自分で決めていい。それが今の僕が考える〝カミングアウト〟です。

カルチャーが持つ、LGBTQへの認識を変える力
小沢 以前、居酒屋で友達とご飯を食べているときに、隣の席の人が目の前の相手に向かって「そんなゲイっぽい感じで振る舞うなよ」「お前ゲイなの?」みたいなことを言ってたんですね。もし言われた本人がゲイだったら、今の言葉はすごく傷つくだろうなって。あるいは、隣の席にいる僕がゲイかもしれない。今僕がここで「すみません。僕はゲイなんですけど」って手を挙げたら、言った人はどんな顔をするだろうとか、いろいろ考えて。性的指向って目に見えないからこそ、気づかないうちに人を傷つけていることはまだまだたくさんあるんだろうなと思ったんです。
山縣 たぶんそういうからかいを無邪気にしてしまう人って、異性愛規範が刷り込まれていて、自分の周りに同性愛者がいるという想像ができないんですよね。あるいは、強いホモファビア(同性愛嫌悪)を持っていて、同性愛者のことを攻撃していい対象とみなしている。昔に比べて同性愛者に対する風当たりはやわらいできたとは思いますが、まだまだ差別意識は根強く残っている。だからこそ、当事者の多くが自分の性的指向を自覚しても、これは他人には言ってはいけないことなんだと口を閉ざしてしまうんです。
小沢 なぜこういうことが起きてしまうんだろうと考えていまして。今必要なのはもしかしたら想像力かもしれないなと思ったんです。目の前の人が何を抱えているかなんてわからない。でも、もしかしたら相手が自分とは違う性的指向かもしれないと想像できたら、自分の発言が相手を傷つけるかどうか、もっと考えるんじゃないかなと。
山縣 その通りだと思います。この言葉は差別だから使わない、というルールだけで終わってしまうと、なぜそれが人を傷つけるのかという理解までは広がらないと思うんです。セクシュアリティは多様で、LGBTQなどのマイノリティも共に暮らしているという前提をみんなが共有している社会をつくれたら、小沢さんのおっしゃるような想像力は発動しやすくなると思うし、そういう社会を築くためにはカルチャーの力はとても重要だと僕は考えています。

小沢 その話、詳しく聞かせてもらってもいいですか。
山縣 たとえば、同性婚にしても、法律で認められたとしても、ホモファビアが蔓延している世の中のままでは、すぐにみんながその制度を使えるわけではないと思うんですね。
小沢 勇気がいりますよね。
山縣 だからこそ、まずは当たり前を変えなきゃいけない。たとえば、近年、ゲイを主人公とした映画やドラマが増えてきましたよね。しかもその告知映像が電車の動画広告で普通に流れていたりする。あるいは、群像劇の中で登場人物の一人がセクシュアル・マイノリティであるというケースも珍しいものではなくなってきました。そうやってこの社会に当たり前に存在するものとしてLGBTQが表象されることで、世の中の認識は少しずつ変わっていくんじゃないかと思っています。
小沢 その一方で、エンタメにする上での葛藤を今回僕は書きながらすごく感じて。人によっては苦しいと感じられるような出来事も、なるべく明るいものになるように物語を書いていて。照明もきらびやかだし、今回は劇場であるスズナリの許可をいただいて、ロビーに入った瞬間からとっても華やかな空間を演出しています。
ただ、装飾的に演出すればするほど、どうして明るくしなきゃいけないんだろうという疑問が湧いてきたんです。きっと中には、ありのままの自分の言葉で今まで言えなかったことを言いたい人もいる。エンタメとして成立させようとする意識と、物語で書いていることがVS状態になって、そのせめぎ合いも描いてみようかなと。

山縣 僕は、それが小沢さんの表現方法なんだから、それでいいと思いました。もし違う作家さんがカミングアウトを題材にした作品を書いたら、きっとまた違う表現方法になる。それが多様性じゃないですか。
例えば、LGBTQの人を取材して報道するときに、メディアのみなさんはどうしても困っていることとか差別されていることばかり拾いたがるんです。実際、それらの問題は通奏低音として当事者たちの日常に流れている。だけど、だからと言って24時間ずっと暗い顔をして生きているわけじゃない。日々の暮らしに、楽しい要素はたくさんあるわけです。
小沢 それはそうですよね。
山縣 『The Closet Revue』の台詞にもありましたが、ゲイだからって一括りにされたくはない。いろんなゲイがいるわけです。ステレオタイプを押し付けられたくない。今回は、小沢さんが小沢さんのやり方でゲイを描いた。その表現に僕も共感しました。そしてまた別の方がゲイを描いていく。そうやっていろんなエンタメにいろんなLGBTQが登場することで、世の中のLGBTQへの理解も進んでいくんじゃないかと期待しています。
僕たちが同性婚に賛成する理由

小沢 今回、お話しさせていただくにあたって、山縣さんが原告として参加されている「結婚の自由をすべての人に」訴訟での山縣さんの意見陳述を読んだんです。そこには僕が今の日本社会に対して抱いている疑問や違和感が日常に即した言葉で書かれていて、頷くことだらけでしたし、なぜ同性婚が認められないのかという疑問がますます深くなりました。
山縣 ありがとうございます。
小沢 改めてですが、同性婚訴訟をめぐる現状について教えてもらってもいいですか。
山縣 2019年2月の提訴から、全国5カ所の裁判所で6つの訴訟が行われてきました。すべての訴訟が高等裁判所での控訴審を終え、現在、最高裁判所からの統一の判決が出るのを待っているところです。高裁では、同性婚を認めない現行法は違憲であるという判決が相次ぐ中、唯一、東京の二次訴訟だけが憲法に違反しない、つまり合憲であるという判決に。
小沢 高裁で違憲という判決が多かったということは、最高裁でも違憲と認められる可能性は高いということですか?
山縣 そう信じたいです。ただ、日本の場合、最高裁で違憲判断が出されたとしても、同性婚を実現させるためには、国会での立法が必要となります。裁判のあとには、国会という大きな壁が立ちはだかっているのです。いずれにしても、まずは目前の最高裁判決で違憲が出ないことには始まらないので、そうなることを願っています。
小沢 今回の台本にも「世間に認められていないってことは、(自分が)ダメってことだと思ってしまう」というような台詞を書いたんですけど、きっとそういうふうに思っていらっしゃる方がいるんじゃないかと思って。でもちゃんと同性婚が法的に認められたら、同性愛者を異物のように見る目も薄まって、もう少し自分のことを肯定できるようになる気がするんです。だから僕は同性婚に賛成しています。
でも、この記事を読んでいる方の中には、なぜ法改正をしてまで同性婚を認める必要があるのか、理由がわからない方もいるのかなと思います。そのあたりについて、山縣さんはどう考えますか。
山縣 憲法で「法の下の平等」を謳っているのに、同性カップルには結婚が認められない現状は明らかに差別だからです。そして、個人的には、一番の不安は、やっぱり老いて病気や死が現実的なものとして近づいているからです。僕には28年目になる同性のパートナーがいて、長く生活を共にしていますが、もしパートナーの身に何かあったときに、婚姻という法的な関係が認められていないと、病床に立ち会えないことがある。
小沢 それはもう想像するだけでつらいですよね。
山縣 僕も来年で60歳。周りの同性カップルの中にも、葬儀や看取りに立ち会えなかった人を何度となく見てきました。これ以上、こんな悲しみを味わう人を増やしたくない。そのためにも1日も早く同性婚ができるようになってほしいと切に願っています。
取材・文:横川良明 撮影:山岸和人
<公演情報>
EPOCH MAN『The Closet Revue』

脚本・演出・美術:小沢道成
出演:
阿部顕嵐 小沢道成 山崎一
BOW 花島令 リンノスケ 神野幹暁
2026年4月4日(土)~5月4日(月・祝)
会場:東京・下北沢 ザ・スズナリ
チケット情報:
https://w.pia.jp/t/epochman/
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