『急に具合が悪くなる』濱口竜介監督インタビュー「そもそも一体何で、ものごとは突然起こるのか」
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すべて見る『ドライブ・マイ・カー』『悪は存在しない』の濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』の日本公開がスタートした。本作は、日本・フランス・ドイツ・ベルギーによる4か国共同製作で、フランスと京都で撮影が行われた。濱口監督は長年にわたって、自らの映画づくりの手法を少しずつ改善し、洗練させてきたが、新たな原作、俳優、スタッフを得て、次のフェーズに踏み出す傑作が誕生した。
本作は、哲学者の宮野真生子と人類学者の磯野真穂の往復書簡集が原作。濱口監督はこの書籍を映画にするため、長い時間をかけて構想を重ね、フランスで暮らす介護施設長のマリー=ルーと、日本の舞台演出家・森崎真理を主人公にした脚本を書き上げた。一見すると設定も何もまったく違う。しかし、映画を観ると本作の原作は紛れもなく書籍『急に具合が悪くなる』だと思うだろう。
「映画監督にとってオリジナル作品は、基本的には都合が良いものだと思います。自分で脚本を書く場合、映画の規模感や重点をどこに置きたいかに関して自由がきくからです。ただし、作品をある意味で“安全地帯”に置いてしまうこと、“自分が撮れるものを撮ってしまう”ことにもなりやすい。原作がある場合、最もありがたいのはそこで既に“世界が立ち上げられている”ことです。現実であれ、フィクションであれ、こういうことがあったということが原作では語られます。オリジナルをやるときには「こんなことあるかな」「これは面白いかな」という基準がまったく見えない中でフィクションを立ち上げていくのが一苦労なわけですけど、原作がある場合は、すでに世界や人物同士の関係性、少なくとも語るべき核心がそこに存在している。それがどれだけありがたいことか。
ただ、原作は本であれ漫画であれ、映画とは別のメディアです。あるメディアを他のメディアに置き換えるのは本来、簡単なことではありません。ときに漫画原作の場合、キャラクター通りの衣装やメイク、超能力のためのスペシャルエフェクトを付与するのに多大な予算がかかることもあります。しかし、その効果や魅力が元の漫画を超えているか、疑わしいことも多いと思います。ただ、ちゃんと取り組めば、メディアの置き換えは面白いものができる機会でもある。原作が、映画を既存の領域から連れ出してくれる要素を持っていることがあるからです。原作に対してある程度忠実でなくてはいけないということは、ほかのメディアに引っ張られるということであり、映画というメディアが何か別の可能性に開かれるきっかけとなるものでもあります」

今となっては仮定の話でしかないが、往復書簡集を無理やりに簡略化して、ダイジェストのように映画化することも不可能ではなかっただろう。しかし、濱口監督は長い時間をかけて書籍の奥底にあるものを丁寧に取り出して、自分なりの方法で映画化していった。その過程は濱口監督の創作の領域を広げることにもなったのではないだろうか。
「これまでにやったことはないけど踏み込まざるを得なかったことのひとつは“死”ですかね。突発的に訪れる死などは多少扱ってきましたが、この映画の中での死は、ほとんど確実なものとして待ち受けているものです。がんを患ったキャラクターがいて、避けがたく死という未来が見えている中で彼女や周囲の人間はどう振る舞うのか。それはあまり描いたことがない人間像や関係性だったので、どう描けばいいのか、周りの人間はどう振る舞うのがありうることなのかは、取材などもしながら、すごく考えました」
『急に具合が悪くなる』というタイトルが示すもの

劇中に登場する日本人演出家の真理はがんの闘病中で、医者からいつか“急に具合が悪くなる”と告げられている。濱口監督はこれまで様々なかたちで有形/無形の暴力や不条理を描き続けてきたが、本作で描かれる死や緊迫感は過去作のどれとも違う。
「この映画のフランス語のタイトルは『Soudain』で“突然”という意味です。この言葉はそもそも自分の主題を直接的に示すものだとも思います。『偶然と想像』という映画を過去につくったことがあります。これはなかなかに良くできたタイトルでして(笑)、映画の中でどれだけ偶然が起きても数回は許してもらえるはずだと。これから偶然が起きるということがタイトルによって予告されているからです。タイトルはどこか、映画全体を支配するようなところがあります。
『急に具合が悪くなる』というタイトルもアンビバレント(二律背反)です。映画の中で“急に具合が悪くなる”ことが起きなければ、このタイトルにはなりえないので、観客はどこかで急に具合が悪くなるのだろうなと思いながら見ることになります。今までの自分の映画でも暴力が突然生じることがあった。それが不条理だとも感じられたと思います。表面的には平穏だったものが突然噴出してくる瞬間は危うさの瞬間でもあるけれど、映画的に面白い瞬間でもあります。でも、今回に関しては『急に具合が悪くなる』や『Soudain』というタイトルによって、突然何かが起きること自体が予告されている。その分、突然さや暴力性は和らげられているところもあると思います。つまり、その面で観客を今までのように驚かせたり、面白くすることはできない。では何か別のものが必要になる。そこで「そもそも一体何で、ものごとは突然起こるのか」を考えることになったと思います。つまりその底に隠れているもの、潜在しているもの、つまりは映画に容易に映らないものを描かなければいけないと考えた気がしますね」

急に何かが起こること、突然何かが起こること、そこにあったものが一瞬にしてかたちを変えてしまうこと。濱口作品がこれまで繰り返し描いてきたことが本作ではタイトルによって早くも宣言され(予告された“急に”は果たして“急”と呼べるだろうか)、“さらにその先に潜んでいるもの”に視点が注がれる。驚くべきはマリー=ルーを演じたヴィルジニー・エフィラと、真理を演じた岡本多緒が、徹底的に相手の言葉に耳を傾け、その言葉を受けて変化していくことだ。濱口作品では事前のリハーサルや本読みについて紹介されることが多いが、大事なのは“話す”ことではなく“聞く”こと、聞いて“変化する”ことにあるのではないだろうか。
「本読みをやっているのもまさにそのためです。聞いたら言えるようになっておくため、自分が聞きとったことを乗せて、自分の言葉を言えるようになっておくためにやっているのであって、単に言葉を言うためだけではありません。それができるようにあらゆる準備はなされています。設定した多言語的な状況では、実際には自由に外国語を操るわけではないふたりの俳優が日本語とフランス語で演技するということは、相当な集中力を持って聞かなければなりません。その状態が三時間ある映画の三分の一から半分ぐらいを占めています。ふたりの間に実際に友情が生まれるかはまったく見通しはなかったですが、互いに聞き合うような状況を作らなければこの映画は成立しないし、原作の精神が表現されることもないとは思っていました。原作を何度も読んで感じたのは、宮野さんの身体の変化と、それを受け止めようとする磯野さんの体の構えのようなものです。前半部分では、会話が硬直してしまうことを避けるために、磯野さんからいろいろな揺さぶりをかけている感じがあります。ただ、宮野さんのがんが悪化して、ここから先は抜き差しならないというときに、“これ”という言葉を選んで新たな関係に入っていく、その踏み込み、その身体的な姿勢こそが、ふたりの俳優に受け渡された気がしています」
「これはほとんどドキュメンタリーに近い」

本作のカメラは徹底的にふたりが相手の言葉を聞いて、変化していく瞬間を捉えている。近年の濱口作品に続いて山崎梓氏が編集を手がけているが、シンプルで無駄がなく的確だ。
「山崎さんと共有していたのは、これはほとんどドキュメンタリーに近いのだ、ということです。現場で決めた仮のカット割りのようなものは存在するけれど、それが正しいわけではまったくない。あくまで、ドキュメンタリー素材だと思って再構成しなければいけない。ただしよい点は、ドキュメンタリーのカメラは往々にして出来事を逃してしまうわけですが、この素材はいい瞬間を、一番いい位置で撮れたと思うまでやったものが集まっている、ということです。全部の素材を見て、これの核は何で、その核に対してどんな周囲のショットを集めていけばひとつのシーンとして流れていくのか。これを決めるのはドキュメンタリーだと普通のことです。ひとつひとつのショットをどう並べていけば、最後まで観客の集中力が持続するものが作れるのかというのを、かなりシンプルにやったということです。
フランスでの2週間を含めて、8週間ぐらい編集期間がありますが、最初の3週間ぐらいはただ素材をひたすら見ているだけでした。ふたりで『ここはすごい』とか『このポジションから、ずっと見ていられますね』としゃべりながら。聞いている姿勢がたくさん映っているというのは、概念として“聞く”姿を見せようということではなく、それが最も、観客が見ていられる時間になるという判断の結果だと思います。この“聞いている”人をもっと見ていたいという思いで、聞く姿などが残されたり映ったりしている気がします」

そしてサウンドデザインは濱口作品で初めてベルギーで行われた。
「担当してくれたのは、ポール・エイマンスとトマ・ゴデールという、ダルデンヌ兄弟などもやっている人たちです。単純に欧米的なやり方が日本のものより優れているとは思っていませんが、間違いなくそれまでのやり方の外に連れ出してくれました。ポール・エイマンスさんのようなサウンドエディターの仕事は、専らプロトゥールズ上でどんな音ネタをある画面に貼り付けていくということです。日本の場合は録音者と整音者が同一のことが多いですから、現場の音が尊重される傾向が強い。あまりに作り込まれたサウンドデザインをたくさんつけることに抵抗があったりします。実際に私も現場で録音された音を使うのは好きですし、その中でしか成立しないバランスを獲得できたりもします。ですから、ベルギーのやり方が単に優れているという気はないのですが、ここまでやるのかというぐらい何重にも音を置いていく。吐息の音、鳥の羽ばたきの音、街の音、介護施設で人が鼻歌を歌っている音。サウンドエディティングだけをやっていて、音量やエコーが十分に調整されていない状態だとものすごく人工的に聞こえます。自分は結構、これはやりすぎだ、こんなにいらないと思って、実際かなり減らしてもらいました。ただ、ポールさんは音をミュート(無音)にしつつ、音ネタ自体は貼り付けた状態で、ミキサーのトマ・ゴデールさんに送ったようです。
このトマ・ゴデールさんという方はダルデンヌ兄弟のほぼ全作と、カラックスの『アネット』なんかもやっている、おそらく現代ヨーロッパでピカイチのミキサーなんですが、彼がミキシングしたものを聞いたときに驚きました。私が要らないだろうと思っていた音は、そこに音ネタがあると認識していないと聞こえないぐらい、本当にちょっとしか聞かせないんです。“すべての音を聞かせる必要はないけれど、それでも、そこにある必要がある”ということなんだと思います。そのことによって本当に画面内の世界が一個一個立体的に膨らんでいく。エキストラ的に存在する人の息遣い一つで、画面が生き生きとして感じられることはありました。結果としては、やはりトマさんとも、本当に要らないところは要らないと言いながら、進めていきました。これは楽しかったですね。こんなにデザインされた音世界でいいのだろうかという気持ちもある一方、間違いなくこのやり方の利点はある、と思いました。
ひとつ言えるのは、本当に人柄が素晴らしい方々でした。映画制作をしていて、フランスやベルギーのスタッフたちの真摯さには驚かされたし、あんなにも大らかに人間的に映画制作をし続けることができるということが一番素晴らしいと思いました。それはフランスやベルギーの映画史そのものからもたらされた強さなのかなと思いました」
「“この先にきっと何かあるだろうな”という感覚」

丁寧に積み上げられた演技、それを逃すことなく捉えたカメラと編集、緻密な音響。本作が3時間超あるのに一瞬も飽きないのは、映画としてとにかく豊かだからだ。中でも印象深いのは、マリー=ルーと真理の出会いと、映画のクライマックス。ふたりは真理が演出した舞台の終演後のQ&Aの場で初めて言葉を交わす。真理は舞台上に、マリー=ルーは客席に。両者は見つめ合っている設定だが、カメラはそれぞれを捉えているため厳密には両者の視線は交錯していない。そして映画のクライマックス。確かな友情で結ばれたふたりは、マリー=ルーの勤める介護施設の庭で静かに抱擁する。お互いの肩に顔をのせたふたりの視線はここでも交錯していない。でも、その表情は出会った時とはまったく違っている。このクライマックスのシーンは本当に感動的だ。
「あのシーン全体が本当に撮るのが大変で、撮影自体に3日ぐらいかかっています。言っていただいたのは3日目の最後のほうに撮っているショットですね。そこに至る現場での作業は本当にシンプルです。彼女たちの集中力が切れないような環境を整えて、集中力が保たれているうちにカメラを最良の位置に置いて撮る。すごくシンプルなことです。そもそも、あのようなショットが観客にとって信じ得るものになるかどうか分からない。ものすごく偽物っぽくなってしまう危険性もあったショットであり、つなぎなんですが、最終的にそれぞれ映ったものがあったと感じています。
ああいうふうに撮るということは、少なくとも2回は撮らなければなりません。実際には2回どころではなく繰り返して撮っているんですが(笑)。その中で、シンプルにこちらに伝わってくるものが映った。それがどうやったらそうなるのかは、定式化できないものだと思います。フランスでの撮影最終日の一日前で、まだ一週間日本での撮影を残していたものの、多くのスタッフとキャストは、ここで撮影を終えることになります。それまでやってきたことがここに集約されているということは現場にいる誰しもが理解しているショットであり、そこにカメラを置く意味もみんな分かっていたでしょう。それもドキュメンタリーというか、現場で起きたことです。俳優たちの努力が第一にある。そしてスタッフたちは撮影中一貫して、彼女たちの仕事を尊重してくれました。だから、彼女たちは明らかに視界に入ったカメラの存在を邪魔にしていない。むしろ受け容れていて、自分の大事なものを見せてくれているような、そんな感覚があります。こういうものは小手先の演出で実現することはない。その場でずっと起き続けたことが、最終的にこの瞬間に流れ込んでくるように作っています。それは賭けでしたが、最終的にその賭けに勝ったような感覚はありました。何かが映ったな、ということ。見返すたびに体が震えるような何かが撮れた気がしています」

映画『急に具合が悪くなる』は、得難い原作を得て、長い時間をかけて創作が続けられ、濱口監督がこれまで足を踏み入れていなかった領域に進んでいると感じられる作品になった。
「『ドライブ・マイ・カー』を撮り終わった時には“出がらし”になった感じでしたが(笑)、今回はそうではなくて『この先にきっと何かあるだろうな』という感覚で終われました。そういうふうに思えるということは自分にとってありがたいことだと思っています」
『急に具合が悪くなる」
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取材・文:中谷祐介(ぴあ)
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