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シュルレアリスム誕生から100年 その歴史と影響をたどる展覧会

ぴあ

19/12/20(金) 0:00

会場風景。手前の大きな目は、マックス・エルンスト『博物誌』第29図《光の車輪》を大きく引き伸ばしたもの。目の中央は穴が開いており、中の展示風景を覗けるようになっている。

「シュルレアリスム」とは、20世紀美術を語る上で、欠かすことのできない美術運動のひとつ。フランスの詩人アンドレ・ブルトンが、第1次世界大戦の戦禍をくぐり抜けたあと、理性を中心とする近代的な考え方を批判し、精神分析学の影響を受けて「無意識」の世界に「超現実」を求めた芸術運動のことだ。1919年にブルトンは友人の詩人フィリップ・スーポーとともに、理性によるコントロールを受けない「思考の書き取り(自動記述、オートマティスム)」という手法を核とした詩の運動として活動をスタート。1924年の『シュルレアリスム宣言』を発表し、運動を本格的にスタート、詩だけでなく、絵画をはじめ写真や映画など視覚芸術の分野へと拡大していった。

シュルレアリスムが誕生してから今年で100年。箱根・ポーラ美術館にて開催されている『シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の「シュール」』は、西洋で起こったシュルレアリスム運動から、どのようにシュルレアリスム絵画が生まれたのか、さらに日本で「シュール」と呼ばれる独自の表現が生まれることになったのか、その展開を紐解いていくのが狙いだ。

この100年の間に、シュルレアリスムは日本にも大きな影響を及ぼし、1930年代には「超現実主義」という訳語のもと、最新の前衛芸術として一大ブームを巻き起こした。しかし日本では、本家シュルレアリスムが求めた「無意識」という本来の目的を離れ、現実離れした奇抜で幻想的な芸術として受け入れられ、独自の表現方法として「シュール」という感覚が生まれ、今に至る。

展示風景 左の壁には、エルンストのコロタイプ(写真製版法の一種)による『博物誌』が並ぶ

会場は「シュルレアリスムの誕生ー1920年代、復興と閉塞から」、「超現実に触れるーエルンストとダリ、物質とイメージをめぐる絵画」、「“シュール”なるものー1930年代、日本における超現実主義」、「“シュール”その後ー吉原治良、瑛九、岡上淑子など」の4つのチャプターで構成される。

まず「シュルレアリスムの誕生ー1920年代、復興と閉塞から」では、第1次世界大戦に軍医補として従軍した精神科医の卵であったブルトンが、いかにしてこの運動を起こしたのか、そして『シュルレアリスム宣言』を発表するにいたったのか、その草創期に関わりのあった作品を紹介する。

また、ブルトンは詩の世界だけでなく、絵画の世界にもシュルレアリスムの可能性を見出し、画家とも積極的に交流、マックス・エルンストやジョルジュ・デ・キリコ、ジョアン・ミロなどが運動に参加。その作品も展示されている。

展示風景 エルンストの作品が並ぶ

続く「超現実に触れるーエルンストとダリ、物質とイメージをめぐる絵画」、では、シュルレアリスム運動を代表する画家、エルンストとサルバドール・ダリの作品を紹介。ドイツのケルンで活動をしていたエルンストは、戦前のカタログなどを見ていた時に、そこに掲載される絵や写真から、幻覚的な効果が呼び起こされることに注目。フランス語で「糊付け」を意味する「コラージュ」という手法を実験的に行ったり、「フロッタージュ」と呼ばれる、板や葉、石などの物体に直接紙を当て、その表面の模様(凹凸)を鉛筆等でこすり出す手法で作品を制作。大型の油絵作品も描いたが、根底には素材と物質の実験的な方法を用いて、思いがけないイメージを生じさせる画家として、人気を博した。

会場風景 ダリの作品が一面に並ぶ

一方、スペイン、カタルーニャ州の地方都市フィゲラスで生まれたダリは、1929年にシュルレアリスム運動に参加。気鋭の作家として、ブルトンにも目をかけられるが、シュルレアリスムの基本であるオートマティスムに依存しない独自の絵画理論を展開。特に「偏執狂的=批判的(パラノイア・クリティック)」方法は、ダリの作品の多くに見られる独自の絵画理論。ダリは、精神科医フロイトが紹介する精神病患者の症例「パラノイア」(目にしたものが妄想によって別のものに見える)を独自解釈し、あるイメージを執拗に眺めていると、まったくの別物に見えてしまう現象を、妄想や記憶という無意識の世界の反映ととらえて積極的に絵画制作に取り入れた。またこの方法によって生み出された、ひとつの形から複数のイメージが浮かぶ「ダブル・イメージ」もダリの代表的技法だ。

ダリは独自の絵画を制作し、時代の寵児となるが、のちに運動からは破門されることとなる。

またこのパートでは、シュルレアリスムの国際化にも注目。ルネ・マルグリットや、ポール・デルヴォーの作品も並ぶ。

会場風景 左から古賀春江《白い貝殻》(1932年、ポーラ美術館蔵)、《サーカスの景》(1933年、神奈川県立近代美術館)

第3章「“シュール”なるものー1930年代、日本における超現実主義」では、シュルレアリスムに影響を受けた作家や作品を展示。1920年代後半から1930年代にかけて、海外から幾多もの芸術運動や作家、作品が雑誌などを介して紹介され、それらに触発されるように、日本でも幾多もの芸術運動が起こり、激動の時代を迎えた。

第2次世界大戦が迫り、恐怖と高揚、しかし不穏な閉塞感が漂っていた日本では、シュルレアリスムは禅など仏教的な思想と結びつき、それはやがて「シュール」と略され、本来の意味を超えた、独自の理論として解釈され受け入れられる。その展開してく様が、絵画を通して紹介される。

会場風景

第2次世界大戦を境に、シュルレアリスムは各国で大きな過渡期を迎えることになる。戦時中にパリのシュルレアリストたちの多くはアメリカへ亡命。そして彼らのアメリカでの活動は、抽象表現主義の形成に大きな役割を果たし、アメリカの近代絵画が花開いていくことになる。同様に日本でも、シュルレアリスム、シュールを独自解釈し、自身の作品に反映させていく作家が活躍することになる。

最終章「“シュール”その後ー吉原治良、瑛九、岡上淑子など」では、戦前にシュルレアリスムを経験した画家たちの、戦後に独自の表現を突き詰めた作品や、戦後に日本の抽象絵画を牽引した作家たちを紹介。

会場風景 左側に見えるのは、成田亨による《ウルトラマン初稿》

さらに幻想的なシュルレアリスムの世界観や、実験的な技法などは、絵画だけでなく、映画や漫画、特撮の世界にも大きな影響を与えたと言われ、会場には成田亨による《ウルトラマン初稿》や、つげ義春の『ねじ式』が並び、日本でのシュルレアリスムの展開の幅広さを知ることができる。

会場風景 束芋が今回のために滞在制作した壁画作品

また今回は、現代美術家・束芋の作品も展示。手描きのアニメーションを使った映像インスタレーションで知られる、人気作家だ。

束芋は自身のことを「シュルレアリスムの作家と思ったことはない」と言うが、事物の組み合わせによって偶然に生まれる、シュルレアリスム的な効果を生かした創作活動を展開しているのは、シュルレアリストに通じるのではないかということで、今回美術館がオファーしたという。

会場風景

反理性、反近代性が主目的であり、現実に内在し、ときに露呈する強度の現実としての超現実を描き出す運動であった「シュルレアリスム」。しかし日本では幻想的絵画と見なされ、「超現実主義」と訳されるも、本来の目的である「現実」は言葉の外に追いやられ、独自解釈の「シュール」という言葉が定着してしまった。

同展は、いつどこでその歪みが出てしまったのか、日本はシュルレアリスムをどのように許容し、発展させていったのか、シュルレアリスム草創期から現代までを通して見ることができる、これまでにない機会となっている。

我々がいま使う「シュール」とはなんなのか? どこから来たのか? そして本来の「シュルレアリスム」とは何か。その答えを探しに行こう。

取材・文:糸瀬ふみ

【開催情報】
『シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の「シュール」』
2020年4月5日(日)までポーラ美術館にて開催

【関連リンク】 ポーラ美術館

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