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【インタビュー】世武裕子、ピアノ弾き語りシリーズ第2弾「実はその背景にあるものこそが最も豊かで実りのあるもの」

音楽

インタビュー

ぴあ

世武裕子 Photo:吉田圭子

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不朽の名曲を圧倒的なピアノとボーカルで弾き語る『あなたの生きている世界1』の続編、『あなたの生きている世界2』がリリースされた。『2』で鳴っているのは、より剥き出しの今の世武裕子自身。幼少の頃より感じていた孤独、時間がないという覚悟、だからこそシンプルに音楽に向き合える今を世武裕子が語る。

歳とともに周りに振り回されずに生きていけるようになった

――前回、『あなたの生きている世界1』で取材させていただいた時(参照:世武裕子インタビュー「表現者としてのクオリティがどんどん薄れていって、このままでは演奏家として危機感があった」)に、こんなことをおっしゃっていたのがすごく印象的でした。それは、「曲を書いた人の世界もそれを聴いている人の世界も同じはずなんですよ。そこに何の違いもないんですよ。だからそれを伝えるのに、私は言葉にサウンドトラックをつける、という感覚でいつも音楽をやっているんです」ということです。そして今回の『あなたの生きている世界2』の資料にはこんな言葉が書かれています。「誰かと誰かの物語をつなぐ、媒体のような表現者でありたいんです」と。明確にご自身のやるべきことを意識していると感じられるのですが、“媒体である”とは具体的にどういうイメージなのか、お聞かせいただけますか?

何かと何かをつないでいく存在ということなんですけど、もちろん現実的には私の声を使って、私の音楽的なノウハウを使いつつも、イメージとしては素通りに近いというか、私がどう思っているかはさておいて、みたいな感覚なんですよね、この『あなたの生きている世界』という作品に関しては。

――その意識はこれまであまりなかったんですか? それともずっとあったけど今強くなっているということですか?

今の方が強いです。もともと「私がこんなふうに表現してるから見て!」みたいなものって、実はそんなになくて。だんだんその事実に気づいて来たんですよね。これ、ちょっとどうなんだろう?って思ってたことって、こういうことだったんだ、とういう感じです。自分ありきで音楽をやるということよりも音楽そのものが優先というか。まず音楽があって、それから自分がいるっていう順番。それってほとんど一緒のようで全然違うことなんです。

――それは映画のサウンドトラックなどを手がけるからそう思うようになったんですか?

サウンドトラックや誰かのサポートをやっているから、徐々にそういうのが自分に向いていると思うようになったのではなく、もともと自分がそういう性格だからサントラをやりたいって思うんですよ。もっと自分の持っている性格に根差すものというか。

――なるほど。

もしかしたら俳優さんとかに近い感覚なのかもしれないですね。役があって作品の中の一部である私、という関係性だけど、自分の器で受け止めて自分を通して演じているから自分でもあるということが言えるわけですよね。

――それでは、収録されている6曲についてそれぞれ伺っていきたいと思います。

はい。よろしくお願いします。

――1曲目が「みらいのこども2023」。これは、2013年に「みらいのこども-始まりの鐘が鳴る-」として世武さんが発表された曲です。このタイミングで弾き語りバージョンとして収録しようと思ったのはどうしてですか?

the chef cooks meの下村(亮介)くんが「『みらいのこども-始まりの鐘が鳴る-』っていい曲だね」ってずっと言ってくれていたんですよ。私自身過去の曲をそんなに振り返ったりもしませんし、そう言われてもちろんうれしいのはあるんですけど、「そんなに良かったっけ?」みたいな感じ(笑)。今回はサウンドディレクターとして下村くんが入ってくれるし、これは絶対にやろうと思って、家で準備も兼ねてひとりで弾いてたら、謎に励まされたんですよ、自分の曲に。なんかいい曲だなこれって。

ただ、その時自分が書いた感じがちょっと気になってしまったんです。未来のこととか子供たちのこととかを書いているんだけど、その中にほんの少しだけ、“自分だって幸せになりたかったのに”っていう気持ちが混じっていて、それが今の私には強すぎた。だから今の自分に違和感のあった部分だけ歌詞を変えたんです。そうしたことによって、これは今ちゃんと自分が伝えたいことだっていうものになったし、ようやく現時点での完成に仕上がったかなと思います。

――変更された箇所は、“あなた”に問いかける言葉でしたが、今回のバージョンでは問いかけではなくポジティブに断定する言葉になりました。

10年前に歌ってた頃は、自分の半径何メートルの世界の“あなた”だったんですよ。だけど、例えば私とパートナーとか家族とか、それくらいの狭い範囲での価値観って、この歳まで生きてきて、それはあくまで一部分だという気持ちが強くなりました。今の私にとっては、“あなた”がたくさんいる世界の方が重要で、そこに対して考えることも多いし、優先順位も高い。そういう価値観に基づいた今の私の生き方が気に入っていて、その感じをきちんと作品にしたいと思ったんです。

世の中って、基本的には狭い範囲の“私とあなた”の文化で成り立っていると思うんです。それが本当は少し居心地が悪かった。でも音楽をやっていくんだったらそこにアダプトしていかないとダメだよなって思ってやっていたのが10年前の私でした。今は、そこから時間をかけて抜け出して、全然違う次元にいる感覚がります。

――より自分自身に沿った、言ってしまえば素の部分を書けるようになったということでしょうか?

歳とともに周りに振り回されずに生きていけるようになったっていうことなんだと思います。余白ができたことで、余裕がなくなってきたというか。

――最後の歌詞も変わっていますよね。〈アストロボーイ〉が〈ムービースター〉に、〈ロックスター〉が〈Her Majesty〉に。ここで書かれている〈Her Majesty〉というのは、文字通り〈女王陛下〉のことなんですか?

そうですね。〈ムービースター〉はゴダールが亡くなったタイミングで、この歳になって、本当に自分がリアルタイムで憧れていた人とか、時代を象徴していたような人とかが亡くなっていくっていうのはこういう感じなんだっていうのを突きつけられるというか。それは自分が10代とか20代とかではあんまり実感として持てないじゃないですか。人はいつか死ぬっていうのはわかっていても、それはずっと遠い先の話だってどこか思ってしまっているから。

――〈みらい〉がより切実なものとして感じられますね。

単純に時間がないっていう話なんですけどね(笑)。未来って、もう今っていうか。だからむしろ10年前の方が未来の話をしてたんですよ。未来に向かってどうやって生きていこうか、みたいな。

そこでは描かれていないものとか、鳴っていない音とかに対して魅力を感じる

――2曲目が宇多田ヒカルさんの「Deep River」です。これを当時19歳で発表したのかということに改めて驚かされましたが、この曲の世界に分け入って感じたことは何だったのでしょうか?

自分の中ですごく映像化されたものがありました。だからそれをカバーという形で映画化した。そんな切り取り方で録音した感じです。

――どういう映像だったんですか?

グレーディングでカラーをぐっと落としているような映像で、映画『ジュラシック・パーク』オープニングの空撮のような、深い森の中に入っていくカメラがあって。そこは日本の森でシダ植物なんかが多めに生えてて、夜が明けそうなんだけど、明けないままずっと夜、みたいな森の世界。フクロウがいて、その世界には人間は生きてないんですけど、でも人間の意思だけがこだまするような世界ですね。

――音楽を作ったり演奏するにあたって映像が浮かぶというのはよくあるんですか?

私は基本的に言葉のインプットも映像でしていて、それを景色に変換して記憶として残しています。映像というか景色と言った方がいいかもしれませんね。だから誰かに何かを説明する時に、この脳内にある景色を例えば写真でパッと撮って、これだよって相手に見せて、ああこれなんだねって伝わるのが私の理想です。

なので私は、説明が下手です。私が今何かの言葉からイメージしている景色を右から順番に、「まず山があって……」とかって説明しても、それは説明にはなっていないし、そもそも言葉が景色だっていうこともよくわからないことだから。

――そのもどかしさがずっとあるんですね。

そうですね、ずっとあります。

――「Deep River」で描かれている歌の世界と世武さんが感じ続けているギャップみたいなものはつながっているような気もしますね。

私は宇多田さんにお会いしたことがないので全然わからないんですけど、もしかしたら宇多田さんもちょっとそういう感じだったのかなって思ったりもします。彼女の作品を聴いたりしている中で、何か同じようなものを感じることがあって。勝手にシンパシーを抱いていただけなんですけど(笑)。

――僕は世武さんのカバーした「Deep River」を聴いた時に、世武さん自身が癒されているというか浄化されているような姿が見えて、その浄化作用が聴いているこちらにも伝わって癒されるというか、そんなふうに思いました。

それは、面白いですね(笑)。

――3曲目が荒井由実さんの「やさしさに包まれたなら」ですね。ジブリの『魔女の宅急便』と離れ難くある曲でもありますよね。

これこそみんなが共通して画像を思い浮かべる曲ですよね。ユーミンさんの曲ってシンプルだからすごいんですよね。ビートルズなんかもそうですけど。さらっとした構成ですごいことやってるっていうのが一番すごいじゃないですか。

――そうですね。この曲のイメージというか、世武さんの切り口がすごいなと思いました。

ありがとうございます。年老いた人が『魔女の宅急便』のキキのことを知っていて、そういうことがあったんだよねってキキのことを知らない人に話すっていうイメージで、それが年老いた魔女のイメージにリンクしていって、もしかしたら話をしているあなたがキキなのかもねっていうイメージで弾き語りしました。

――すごい(笑)。続編というか。

映画のその先をあれこれ想像するのが好きなんです。映画オタクあるあるかもしれませんが(笑)。それは何に対しても共通している感覚なんですけど、そこでは描かれていないものとか、鳴っていない音とかに対して魅力を感じますね。

――それはご自身で音楽を作る時もそうなんですか?

常にそうです。ここで言ってないことの方が実は大事で、それのために何かを言ってるっていう感じかな。曲として言ってることは、ある種イントロでしかなくて、実はその背景にあるものこそが最も豊かで実りのあるものというふうに認識しています。

――ピアノのアレンジはどういうイメージだったんですか?

富士吉田にいる頃に思いついたアレンジなんですけど、ある朝に空を見てたら、この曲がこのアレンジのまま頭の中に出てきたので、それを弾いたという感じで、だから、アレンジしたっていう感覚もないんですよね。流れてきたものを弾いただけなので。

――そういうことって結構あるんですか?

そういうことの方が多いですね。次どうしよう?ってアレンジすることはあまりないんです。オーケストラでも頭で鳴ってるものを書き出してるという感覚なので、最初にピアノのフレーズがあって、そこから弦をどうやって足すか、次は何を足そうか、みたいなことではなくって。

――構築ではないんですね。

最初からまとまって出てきているものをパート譜に分けて書いてという感じですね。だからこの「やさしさに包まれたなら」もピアノと歌がくっついて出てきたので、極論、そこにあったアレンジだったというか。

――それを見つけた(笑)。

そうです(笑)。めっちゃ甘いもの食べたい、あ、チョコあった! ラッキー! そういう感じです(笑)。

自分に見限られたら本当におしまいだなって思うので

――4曲目の「プラチナ」は実は知りませんでした。

そうなんですか!?

――あとは世代的なこともあるかもですが、これ、めちゃくちゃいい曲ですね。1回目にこの作品に収録されている6曲を通して聴いた時に、まずはこの曲に心を掴まれましたね。

確かにスコーンと抜けた感じのある曲ですよね。

――これは、資料に「自分へのご褒美として」収録したって書いてありましたが――。

ただやりたかっただけです(笑)。この曲が一番理由も何もなく単純というか。これは、どうしても歌いたかってん『カードキャプターさくら』の曲!ってやつです(笑)。

――やってみていかがでしたか?

この曲、ややこしすぎて。コードワークとかが。さすがに菅野よう子さんの曲というか。転調もすごいし、コードも細かくバキバキに分かれてるし。さっき言っていたみたいに、どの曲も頭の中に出てきて、あったラッキー!みたいな感じでやってるのに、これだけ几帳面にコードを取ってやりました。

――そして5曲目が森山直太朗さんの「人間の森」です。この曲は一緒にレコーディングされていますよね。

そうですね。最初に直太朗に誘ってもらってこの曲でピアノを弾いたのかな。その時は私、「さくら」しか知らなかったんですけど(笑)。

――森山直太朗というアーティストにはどんなイメージをお持ちですか?

本当に絶妙な存在感の人で、めちゃめちゃ音楽の人かと思えば、そうでもない感じがする時もある。それに彼の歌はうまいかどうかの価値基準を超えているところにある気がする。だから得体の知れない深さみたいなものが作品に反映されていることがあって、そこが面白い。

さらにそこがいつも統一されていない、という感じがしていて。例えば「夏の終わり」は名曲ですけど、冷静に曲として分析したら特に何かが変わっているとか、ものすごく細部まで構築されているとか、そういうことではないんですよ。言ってしまえば普通なんです。でも聴くと、「なんだこの曲!」っていう驚きがある。そういうすごさのある人です。

――世武さんのバージョンの「人間の森」で一番驚かされたのは間奏です。音がだんだん大きくなるんじゃなくて、迫って来るっていう感覚が歌詞と相まって何かに包まれるような感覚になりました。

この「人間の森」っていう歌は、有無も言わせない終止符の歌だと私は思っていて。もう圧倒的にものを言わせない感じというか。直太朗すら何も言わせてもらえてないっていう感じがするんです。本人がつくってるのに(笑)。それをちゃんと形にしたいと思いました。

――あの間奏を聴いて、今回世武さんが目指した音の世界がどういうものなのかというのがわかったような気がしたんですよね。つまり、歌とピアノだけで描き切るんだという強い意志というものを感じました。

オーケストラは好きですけど、それは当たり前に感動させられるんです。すごいに決まってるんだから。でもそうじゃない、自分の身体ひとつでどこまでもっていけるかということにロマンを感じて。だから今回、音を重ねせず、この身体を使って、一度きりで出せるものだけで勝負したかったです。

――そこにこだわった理由は何ですか?

ちょっとした反骨心は自分の中にあると思います。演奏者としてちゃんと腹を括らなくても、なんとなくいい感じに録音できてしまえるこの世の中に対しての、なめんなよっていう。それは自分に対しても。甘んじているのではないかという恐怖心もあったんです。いくらでも切り貼りできるから、とりあえずこれでいいや後でなんとかしようっていう録音を重ねていくと、どんどん下手になっていく。雰囲気で音楽をつくって、それを聴いたみんながイエーイ!ってなったらそれはそれでいいんです。でもやっぱり、何て言うか、朽ちないぞ、みたいな感じです。

――それは音楽への信頼なんですかね?

音楽へのというより、自分のピアノに対する信頼かなぁ。でも一方で、自分のピアノってこんなもんで大丈夫?って思ってる時もある。その両極端にずーっと振り回されている感じなんですよね。ほんとに、ピアノって大して弾けていないし、これって何なの?っていう気持ちになったりする時がります。だけど、何かのスイッチが入って一回本気でピアノの前に座って弾き出すと、そこに対する絶対的な安心感というか、絶対こいつはやってくれるから、みたいな気持ちにもなる。他人の話をしてるみたいですけど(笑)。

――6曲目に収録されているのが手嶌葵さんの「テルーの唄」。まず、この曲をやろうと思ったのはどうしてですか?

手嶌葵さんがめちゃくちゃ好きなんですよ。こんなに丁寧に歌う人いる?っていうぐらい細部まで丁寧なんですよね、息の使い方とか切り際の処理の仕方とか。手嶌さんの歌の素晴らしさも相まって、まるでこの曲の歌詞の世界が自分そのもののようでした。

ずっと感じていた孤独みたいな話をしましたけど、それってこれなんですよ。この種類の寂しさなんです。よく言う、人肌が恋しい寂しさとかではないんですよね。そんなのは大して気にも留めてませんが、もっと根本的に「あぁ、独りだ」みたいなもの。

この景色すら誰とも共有することができないんだっていうような寂しさ。私が景色として記憶している寂しさは、テルーの立っているあの景色だった。誰にも見えない私の抱えていた景色を誰かが描いてるってすごいっていう別次元の感動だったんですよ。自分の人生を表現した曲が自分の曲じゃなくて残念なんですけど(笑)。

――その、別次元の感動っていうそこの理解が追いついてないですね、正直。いや、当たり前なのかも知れないんですけど。

ああ。もしかしたらあれかも、みんなで言うところの、この人が一緒に生きていく運命の相手だって言ってる時の感じに近いかも。

――じゃあ「テルーの唄」に出会って、世武さんの抱えている決定的な孤独は少しは浄化されていったわけですか?

いや、浄化されて孤独が癒されたっていうのではなくて、きれいに掃除したらよりはっきりと孤独が浮き上がってきたっていう感じですね。でも、それでいいんです。そこから逃げるつもりもないし、それを隠すつもりもないから。

――『あなたの生きている世界1』『あなたの生きている世界2』、この2作品を通じて世武さんが感じたことは何ですか?

一番思うのは、時間がないってことですね。自分が思っているピアノの表現にしても、これから何回「これだ!」っていう演奏ができるのか、それと歌にしても、自分の思い描いている歌の表現にどうやったら辿り着くのか。あるいは自分が本当に納得できる曲を書くにはどうしたらいいのか、それらが私の人生の中ですごいウェイトを占めています。

そういう意味ではすごく整理されてきている。もちろん今までも、私がやらなければいけないこととして認識してはいたんですけど、他のいろんなことに振り回されたりしていたところはあったので。でももうそんな時間はない。

ただ、結局死ぬその時まで自分の納得する到達点には行き着けないと思います。でもそれってある意味では救いだなと思うんですよ。例えば50歳くらいで、もう全部自分の思う通りのところにまでたどり着いたとしてそこからどうやって生きていけば良いのでしょうか? 結局死しか残らなくなって、それはとてつもなく怖いんですよ。だから、行き着かないで死ぬ仕組みになってるのかなと思います。

――そうやって生きていくということは、つまり常に自身をアップデートしていかなければいけないということだと思うのですが、その根っこには音楽に置いていかれるというような恐怖心や焦りがあるんですか?

音楽に置いていかれるという感覚というよりは、単純に自分に捨てられるのが怖いっていうう感じですね。なんだ、それぐらいしか弾けないんだったらもういいよって、たまに思う時があるんですよ。そういう時が一番怖いです。自分に見限られたら本当におしまいだなって思うので。

Text:谷岡正浩 Photo:吉田圭子

<リリース情報>
世武裕子『あなたの生きている世界2』

発売中

世武裕子『あなたの生きている世界2』ジャケット

【収録曲】
1. 「みらいのこども2023」世武裕子 セルフカバー
2. 「Deep River 」宇多田ヒカル カバー
3. 「やさしさに包まれたなら」荒井由実 カバー
4. 「プラチナ」坂本真綾 カバー
5. 「人間の森」森山直太朗 カバー
6. 「テルーの唄」手嶌葵 カバー

配信リンク:
https://lnk.to/anatanoikiteirusekai2

<ライブ情報>
HOPE FOR project

3月11日(土) 震災遺構 仙台市立荒浜小学校
開演16:00
※入場無料

詳細はこちら:
http://hopeforproject.org/2023-3-11/

HIROBA FES 2022×2023 –FINALE! UTAI×BA−

3月18日(土) LINE CUBE SHIBUYA
開場16:30 / 開演17:30

出演:大塚 愛、亀田誠治、崎山蒼志、世武裕子、長谷川白紙、水野良樹(HIROBA)、横山だいすけ、吉澤嘉代子、Little Glee Monster(50音順)

チケット料金:7,980円(税込)
※全席指定・電子チケット

チケット情報はこちら:
https://w.pia.jp/t/hiroba-fes22-23/

詳細はこちら:
https://hiroba.tokyo/fes22-23/

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