誰もが衝動に駆られる傑作
岡田麿里監督最新作
『アリスとテレスのまぼろし工場』
岡田麿里監督の待望の最新作『アリスとテレスのまぼろし工場』は、繰り返し観たくなる作品だ。
面白い映画はたくさんある。評価の高い映画もたくさんある。しかし、観る者が“これは自分の映画だ”と思える映画、観終わって何度も思い返す映画、誰かに感想を話したくなる映画はそう多くはない。『アリスとテレスのまぼろし工場』はそんな観客にとって“特別な1本”になるだろう。観客の中に“熱”が生まれ広がっていく。本作の公開後、そんな光景を目にすることになるはずだ。
本作は多くの映画やアニメーションに触れている“専門家たち”も魅了している。数多くの名作を観てきたプロたちはなぜ、本作を高く評価し、熱狂しているのか?
絶賛と本作が巻き起こす“衝動”が入り交ざった渾身のレビューを掲載する! 彼らの“熱”を受け取って、劇場に足を運んでほしい!
宇野 維正(映画ジャーナリスト)
細やかな人物描写と壮大な物語の仕掛けに感嘆。
いよいよ岡田麿里がエンターテインメント映画のど真ん中へと足を踏み込んだ、2023年最重要作品の一つだ。
佐渡島 庸平(コルク代表)
「退屈の仕業でしょ、ぜんぶ」
時間をどう使えばいいのかわからなくて、自分を持て余している中学生たちの感情が、ファンタジーの中でリアルに切なく描かれている。
SYO(物書き)
僕らが大人になったふりをして、出口を奪った生の感情。
岡田麿里は、その痛みをずっと抱え続けてきたのだろう。
彼女にしか達せない「好き」の本性が、駆け巡っていた。
まぼろしの空を。つんざくほど狂おしく切実なリビドー。
数土 直志(ジャーナリスト)
「恋をするって面倒だ」。若者たちの心の動きと戸惑いはそんなことを思い出させ、観るモノの胸をぎゅっと掴む。岡田イズムの真骨頂だ。
同時にこれまでの岡田作品の先をいくブレイクスルーを実現した。人間ドラマであるだけでなく、中盤から後半にかけての凄まじい疾走感、ハラハラドキドキ感は最高のエンタテイメントである。確かな演出と瞬くような映像美がその物語を支え、極上の映画に仕上がった。観終わった後はしばし呆然とした。
いま僕たちが生きる時代を反映し代表する作品として、本作がこの先、何十年も語り継がれることは間違いないだろう。
土居 伸彰(アニメーション評論・批評)
とんでもなさすぎてまだ震えが止まらない……。
囚われた心が連鎖して爆発的に解放される終盤は爆笑しながら落涙…
物語も設定もなにもかも気持ちを鷲掴みにしてブンブン振り回すためにあるような、そんな映画。
あまりにオリジナリティ溢れる本作を観れた幸福を、強く噛み締めたい。
中川 右介(作家、編集者)
廃墟、工場好きには、たまらない。
美術(背景)が主役と言って過言ではない、滅びの美学に満ちている。
製鉄所のあるその町は、外部から閉ざされ、そのなかでは時が進まない。「変わらない」ことを強いられる少年少女たち。まさに、閉塞・停滞した「日本」そのものだ。
謎めいた少女、雪の日、列車、夏祭り、花火、、、いずれもアニメの常套句表現だが、それを駆使して、新しい世界を提示している。
氷川 竜介(アニメ特撮研究家)
出口を無くし、冬を繰り返す地方都市。成長や変化を喪失した時の流れ。そこに閉じこめられた大人でも子どもでもない思春期の主人公たちに同調しながら、暗闇の時間で揺れる感情を共有しました。
鬱屈も痛みも反感も、真逆の輝かしい感情や想いとともにあり、一体となってグルグルする、懐かしくも新鮮な感覚。原作・脚本・演出を一体として押さえた、岡田麿里監督ならではの新作です。
松崎 健夫(映画評論家)
何らかの事故で街の外へ出られなくなった人々、とりわけ14歳の若者たちにフォーカスを当てた、この奇抜な物語には普遍性がある。
それは、中学生の彼らにとって、街の外の世界は事故があろうとなかろうと、日常と隔絶されたものであることに変わらないからだ。そして、繰り返される退屈な日常というモチーフもまた、青春を描く上で欠かせないものだったりする。
だからこそ、この映画が描く“抜け出そうとしても抜け出せない日常”に対して、わたしたちは共感するのだろう。
『アリスとテレスのまぼろし工場』
9月15日(金)公開
©新見伏製鐵保存会