江口のりこ、前田敦子、伊原六花出演!溝口健二監督映画をオリジナルミュージカル化!
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース
ミュージカル『夜の女たち』特集
江口のりこ×長塚圭史「面白い作品になるだろうなと確信しています」
本作で主演と演出、ともに初のオリジナルミュージカルに堂々と挑むふたりが、稽古の日々で体感した新鮮な発見の数々とは!? これまでいくつもの舞台をともに立ち上げて来た、その信頼の深さが感じ取れる対談となりました。
これを劇にするなら直感的にミュージカルだなと
── 長塚さんは溝口健二監督映画をご覧になって「ドキュメンタリーのように感じた」とおっしゃいました。それほどに戦後当時の人々の生活が生々しく描かれた作品を、舞台上に表すのは大きな挑戦に思います。しかもご自身にとって初の、ミュージカルという手法で。その意図からお伺いしたいです。
長塚 僕もこれまで三好十郎の作品を手掛けるなど、あの時代の、戦後の心乱れた人たちを描いた作品を演出したり観たりしてきたので、非常に困難な時代であったことは分かっていたつもりでした。でもあの映画を観て、本当に壮絶な時代を目の当たりにした感覚になったんですね。そうか、戦後すぐの1947年頃に実際にその時その場所で撮ると、これだけ生々しいものが出て来るんだと。その時に、この時代のことを今の僕らの目線から描いたらどうなるだろう……と思いまして。それで、もしこれを劇にするなら、直感的にミュージカルだなと思ったんです。
そもそも僕らは、教育的にもあの時代のことをそれほどきちんと学ぶこともなく、体に沁み込ませないまま今まで生きて来たように思います。でも実際に戦後、日本がアメリカ軍の占領下にいた時代があったわけで、そこから続く歴史の中に今、自分たちはいる。そのことも含めてこの時代を表現するには、正攻法でストレートプレイの形でやるよりも、間口が広くなるんじゃないかと思ったんですよね。本当に直感で、ミュージカルなら、音楽が観に来る人の心も、観劇する力も、もっと広げてくれるんじゃないかなと。なおかつ、『夜の女たち』に登場する人たちは言葉で捲し立てるというより、気持ちを内に秘めているんですよね。そういった心情を音楽に乗せて、歌で表現することも出来るんだ! なんて思いながら、上演台本を書いていました。
── 江口さんは、制作発表の時に“こんなはずじゃなかった”感を漂わせた言動で取材陣を笑わせてくださいましたが、出演を決めた後押しとなったものとは?
江口 後押しとか、ないです。流されたってことです。(一同笑)でも、やるべきことはやっておかないと! と思って、歌唱指導の先生にボイストレーニングの先生を紹介していただいて、マメに通っていました。通いつつも、今自分がどこに向かっているのか、分わからないままやっていて……。何せミュージカルをやったことがないので、どんなふうに歌いたいのか、そんな理想も持てなかったですし。ビジョンは何もないけど、とりあえず先生と過ごす時間が楽しいから、ボイトレに通っていました。そのうちにだんだん公演チラシが出来てきたりして、あ〜ホントにやるんだなと。それでも全然気持ちがワクワクすることなく、ずっとボンヤリしたままで。でも、テーマ曲が出来上がって、それを聴いた時に、ようやくワクワクしましたね! そこからですね、楽しみだな、よし、やるぞ!って気持ちになったのは。
「音楽の力」という今までにない悩み
── 長塚さんは早くから、主人公の“大和田房子”は江口のりこさんだと想定されていたんですか?
長塚 そうですね。最初にパッと思い浮かんだのが江口さんでした。作品に向かう役者としての姿勢に興味を持っていて、一緒に芝居を作るのが面白い、そう感じる人のひとりなんですね。今回は新しいチャレンジで、きっとさまざまな困難が伴うだろうなと。これどうやるんだろう、難しそうだな〜って時に、声をかけることが多いかもしれない。
江口 うん、面倒なモノにしか呼ばれない、って感じですね。(一同笑)圭史さんがやる芝居のチラシを目にして、え〜私、こっちに呼ばれたかったな〜って思うこと、結構ありますし。どうも私が呼ばれるものって、劇場のアトリウムにテント張って三部作を一挙にやるとか(新ロイヤル大衆舎×KAAT『王将』-三部作-)、今回みたいにミュージカルやったことのない人ばかり集めてミュージカルやるとか、そういう感じですね。
長塚 (唐突に)ほら、昔一緒に、東北にワークショップに行ったじゃない? 田中哲司さんと、江口さんと3人で。
江口 ああ〜あれ、面白かったのが、現地の演劇人の方達と一緒にやったワークショップなんですけど、哲司さんと圭史さんがメッチャ率先的に動いて、劇に参加していくんです。もうちょっと現地の方々にやらせてあげれば? って私、思ったんですけど、ふたりがすごい勢いで……。あれは見ていて面白かったですね。
長塚 そう、即興劇でね。二人芝居で、タッチして交代して、どんどん人が入れ替わっていくんですよね。あれ、面白かった〜!
江口 哲司さん、すぐに立ち上がって、何回も何回も交代して入っていって(笑)。
長塚 ハッハッハ! そうするとこっちも燃えて来て、ついに舞台上には俺と哲司さんしかいなかったりして。
江口 ふたり同時に入っていこうとしたりして……。もう私、落ち着いて! って思ったもん。(一同笑)
── お話を伺うに(笑)、江口さんも、長塚さんとの芝居作りを楽しんでいらっしゃるようですね。
江口 そうですね。やっぱり長塚さんと一緒に芝居をやるとなったら、内容がどうあれ、演劇って面白いね!ってところに必ずたどり着くんです。演劇の力だったり、劇を立ち上げていく要素だったり、いろんなやり方があるな〜と気づくことが出来るので。でも圭史さんの稽古ってすごく時間がかかるんですよ。辛抱することが大事なんです。今回もそうで、なかなか壮大な劇だけど、進め方はちょっとずつ……といった感じで。本当に“台”のみの舞台で、役者がその時に必要な小道具を持って出て、場面を作って、つないでいくんです。だから、何回やっても難しいな……って時に、動き決めてくれよ!って思う時もあるわけですよ。
長塚 ハッハッハ!
江口 でもそこで辛抱して、自分たちで見つけていったほうが絶対に面白いし、説得力もあるし、納得も出来る。今回はとくに、辛抱することが第一だなって思いますね。
長塚 いつも以上にそうだと思うよ。音楽はもう決まっているので、本来のミュージカルのやり方なら、ある程度のステージングは作ってしまうと思うんです。でもやっぱり、空間は俳優たちとともに立ち上げていくほうが面白いと思っていて。ミュージカルに慣れている人たちは、プロセスの大変さを知っているから当然のように早い。パッと出来てしまうんですよね。それはすごく新鮮だし参考になっています。
江口 急に歌い出すのを客観的に見ると、やっぱり面白いなと思ったりするんですけど、そんなこと面白がっている余裕がないと言いますか(笑)。やることがたくさんあって、とにかく一日一日が貴重。それこそ、人の歌を聴いている時にどこにいればいいか、場所探しが難しいんですよ。それは実際に物理的な難しさと、心の置きどころというのもあるし。いろんなことを探していくのに必死で、でもそれが正しくもあるんですよね。
長塚 ミュージカルをやってみてあらためて思うのが、やっぱり音楽の力、強いなあ!と。音楽って全部決まっているから、その尺に合わせると、なんとなくいい感じになっちゃう。でもいい感じになっていいのかな!?って思うわけ。人間って、音楽に合わせてまとめたくなるんだな……って思いました。あと、音楽が出来ているから毎回何かわかりやすい成果を残したくなるし、出来ないと悔しくなっちゃう(笑)。芝居はもうちょっとジクジク積み上げていっていいのに、曲がもう素敵に完成しているからそこに行かなきゃ!って気持ちが急いで、それをグッと抑えるのに辛抱しています。
江口 バンドが入ったら違うのかなあ?
長塚 違うだろうね。バンドが入るとメチャ興奮するらしいよ。
江口 あ、そうなんや。稽古の後半、最後の最後に入るんでしょ? もうちょっと早く来てくれたらいいのにね。(一同笑)。
“女たち”をとりまく頼りになるキャスト陣
── 物語の中で、女たちに影響を与える男たちのキャラクターについては、長塚さんが映画ではあまり描かれていないそれぞれのバックボーンを丁寧に書き加えられていますね。
長塚 もともと男性役も背景をきちんと作らなきゃいけない、そこは大事だと考えていまして。映画が公開された1948年だったら“まさしく今起こっている生々しい出来事”として捉えることが出来るだろうけど、僕らが観たら、なかなかそうは思えない。じゃあ、大東(駿介)君が演じる“栗山”は、戦中に何か信じていたものが崩れたんだろうな……とか、(前田)旺志郎君が演じる学生の“清”は、引き揚げの時に辛い目にあった、とか。(北村)有起哉さんには、現代の視点を持たせながら舞台に立ってもらおうと思っています。彼の演じる院長の役が結構重要で、「私のせいなんだ」という台詞が出てきます。僕自身47歳になって、もしこういう時代を迎えていて、たとえば20代の子たちが悲鳴をあげるような生活をしていたら、47の自分はその社会に対してどう思うのか!?と考えるんですよね。それは誰のせいだ、責任の所在はどこにあるんだ!? ということを問いたくて。江口さんだけじゃなく、有起哉さんや大東君、また福田転球さんなど、ちょっと途方もないことをやろうって時に頼りになる、しっかり耐える力を持った人たちが演じてくれるから、僕もイマジネーションが湧いて役を広げていけるんですよね。
江口 私は正直、自分のことに必死で男の人のことはそんなに考えてないですけど……。
長塚 ハッハッハ!
江口 転球さんや大東さん、有起哉さん、本当に心強くて面白い人ばっかりなので、どれだけ救われていることか! その人たちと一緒に出来ることが本当に嬉しいですね。
── 皆さんの“途方もないこと”への挑戦が、見過ごしていた歴史の一時期に目を向ける、貴重な機会となりそうです。
江口 ミュージカルをやるのが初めての人がほとんどなので、何かものすごく斬新な舞台になるんじゃないかって思われているかもしれませんけど、私は今、稽古をしていて、すごく真っ当なものが出来ると思っているんです。なので、きっと面白い作品になるだろうなと確信しています。
長塚 劇のフォルムとしては、江口さんの言うように超真っ当なんです。荻野清子さんの作る楽曲は素晴らしく、これがバンドで演奏されると考えたらただ興奮しかない。芝居の部分も、台詞が俳優の体に入って言葉の密度が上がり、それが歌として聞こえてくる、そんなシンプルな喜びに溢れていて。それらが全部重なっていくと、非常に密度の濃いエンタテインメントになると思う。で、エンタテインメントとして提示した時、この時代っていったい何だったんだろう!? と、皆さんの心に引っかかってくれれば。“今のような話”と観る人もいるかもしれませんけれど、この日本に実際にあった時代のことを、皆さんが考えるようになるといいなと思っています。
取材・文:上野紀子
撮影:源賀津己
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第1回