江口のりこ、前田敦子、伊原六花出演! 溝口健二監督映画をオリジナルミュージカル化!
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース
ミュージカル『夜の女たち』特集
ミュージカル『夜の女たち』公演レポート! 自由を求める女たちの怒りと叫び
長塚圭史が、1948年に公開された溝口健二監督による同名の映画をミュージカル化した『夜の女たち』がKAAT 神奈川芸術劇場にて開幕した。同劇場の芸術監督として2022年度のシーズンタイトルに「忘」を掲げた長塚。多くの国民にとって遠い出来事となりつつある戦後まもなくの混迷の時代をどう描いたのか?
物語の舞台は戦後すぐの大阪・釜ヶ崎(現在のあいりん地区)。戦争と病で夫と息子を亡くした房子(江口のりこ)、房子の妹で、命からがら朝鮮半島から本土へと戻り、進駐軍が駐屯するホールでダンサーとして生きる夏子(前田敦子)、房子の義理の妹・久美子(伊原六花)という3人の女たちの壮絶な人生を中心に、激動の時代、新しい時代の波の中で生きる人々の姿を描き出す。
幼児結核の息子を抱え、働くこともままならず、着物を古着屋でお金に換えながら出征した夫の帰りを待つ房子。ようやく夫の消息が知れるが、既に捕虜として亡くなっており、時を置かずして息子も早逝してしまう。その後、栗山(大東駿介)という会社経営者の愛人となり、朝鮮半島から帰ってきた妹の夏子とも再会を果たすが、夫と息子を亡くした喪失感を抱えながら娼婦として夜の街角に立つようになる……。
房子はなぜ“闇の女”となったのか? 戦後の混乱、とりわけ貧困が大きな原因であることは間違いない。しかし長塚が描くのは、ただ貧困にあえぎ、食うためだけに娼婦へと身を落としていく“弱い”だけの女の姿ではない。
戦時中はお国のために様々な犠牲や我慢を強いられ、敗戦するや一夜にして価値観が逆転し、世間や戦争を始めた男たちは、それまで言っていたことをあっさりと翻し、ふたたび女や弱い者たちを食い物にしようとする。そんな欺瞞と矛盾に満ちた社会に憤りを感じ、男たちへの“復讐”の思いを胸に、房子は自らの身体を売る。
長塚はプレスリリースの「上演にあたって」と題したコメントの中で、戦後に急増した街娼の存在について、貧困からのみ生じたわけではなく「全体主義と封建主義から突然解放された自由の中、女性たちがその権利を掴み始めた時、あらぬ方向へ膨張してはじけた現象でもあったのではないでしょうか」と書いている。
物語の冒頭をはじめ、劇中たびたび「働けるだけ喰わせろ」「米よこせ」などと書かれた(※1946年に行なわれた食糧メーデーをモチーフにした)プラカードを掲げ、貧困への怒りを表明する人々が姿を見せるが、その中に「自由」と書かれたプラカードが見えるのが象徴的だ。
序盤は出征した夫の帰りをただ“待つ”だけだったが、怒りと自由への思いを胸に街角に立つようになる房子の変化、強さを江口のりこが魅力的に表現。
また、朝鮮半島からの帰国のさなかに全てを失い、半ば自暴自棄となってダンサーとして生き、月賦で流行りの洋服を買い、化粧を施し、目の前の快楽に身を任せながら生きる妹の夏子を前田敦子が好演している。房子とは性格も動機も違えども、戦後の自由を享受しようと刹那的に生きる。
2人よりもさらに若い世代──戦争によって青春時代を無駄にした若者として、失われた自由と幸福を取り戻すべく家を飛び出すも、男たちの毒牙にかかる久美子を演じる伊原六花も舞台上で存在感を発揮している。
そんな彼女たちを取り巻く男たちの姿も印象的だ。戦後の闇ブローカーとして怪しい商売で財を成し、房子を囲う栗山、学生服に身を包み、都会に出てきた若い女性を言葉巧みに騙す“ドブ板清”という、卑怯で情けない男たちを大東駿介、前田旺志郎が巧みに演じている。北村有起哉が演じる病院の院長は、女たちをカタギの世界に戻そうと奮闘するが、彼の心にあるのは、抑圧された女たちを解放し自由を与えたのが、日本の社会ではなく、敗戦とアメリカ軍だったということへの忸怩たる思い。そんな彼の善意に対し、自由と強さを手に入れた女たちが突きつける“答え”とは──?
戦後77年を経て時代は変われども、抑圧からの解放を求め、歌に乗せて思いを叫ぶ女たちの思いは、現代を生きる人々の心にも響くはずだ。
取材・文:黒豆直樹 撮影:細野晋司
第2回
第3回