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夫婦監督&主演女優の映画『石門』までの道のり

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世界各地の映画祭で高評価を集める映画『石門(せきもん)』が2月28日(金)から公開になる。

本作は、中国湖南省出身のホアン・ジーと、東京出身の大塚竜治が、ヤオ・ホングイを主演に迎えて撮影した作品で、私生活上では“夫婦”でもある監督コンビと主演女優が手がける3作目の映画になる。

『卵と石』から『フーリッシュ・バード』、そして『石門』へ

ホアン・ジーと大塚竜治のコンビはデビュー作に続いて、2012年に『卵と石』を発表する。作品内のクレジットは「監督:ホアン・ジー、撮影:大塚竜治」となっているが、主演にヤオ・ホングイを迎えたコラボレーションはここから始まったと考えて良いだろう。

主人公は農村で暮らす14歳の少女ホングイ。出稼ぎをしている両親と離れ、叔父夫婦の家で暮らす彼女は封建的な地域と、自分のことしか考えない身勝手な大人に囲まれて抑圧を感じている。まだ自立する前で自分ではどこにも行けない焦燥感が増す一方で、自身の身体はどんどん成長し、変化していく。

本作はロッテルダム映画祭の最優秀作品賞受賞にあたる“タイガー・アワード”を受賞。2013年にはぴあフィルムフェスティバルでも上映された。“デビュー作にはその作家のすべてがある”というフレーズが頭をよぎる濃密な1作になっている。

夫婦でもあるふたりは、生まれたばかりの娘と共にホアン監督の祖父母のいる中国湖南省に帰省する様を描いたドキュメンタリー『Trace(痕跡)』(2013)を発表。その後、再びヤオ・ホングイを主演に迎えた長編に取り掛かる。

2017年の『フーリッシュ・バード』もまた出稼ぎの両親と離れて暮らす少女の物語だ。16歳のリンセンは学校にも家にも居場所がなく、出口のない日々をおくっている。ある日、彼女は教師が生徒から没収したスマートフォンを盗み、親友とネットを通じて知り合った男に売ることで金を得る。ふたりは金を手に美容院に向かうが……。日本では映画祭「福岡アジアフォーカス」でも上映された本作は、ベルリン映画祭など世界各地の映画祭で高評価を獲得した。

『石門』を含む3作品はすべて独立した作品だ。監督と主演は同じだが話に直接的な関係はなく、それぞれが違う主人公の異なる物語が描かれる。一方で、ヤオ・ホングイの成長に寄り添うように物語の主人公の年齢も14歳、16歳、そして20歳と変化。続けて観ることで、繰り返される“雨”の描写や、主人公の移動手段の変化(バイクの後部座席から、自転車、公共交通手段であるバス、自家用車へ)、カメラを通じて語りが洗練されていく過程を楽しむことができる。

なお、『卵と石』『フーリッシュ・バード』はどちらも『石門』の公開を記念して日本での公開が決定している。

変わりゆく社会と“はじかれた”子どもたち

3作品はいずれも急激に変化していく中国社会が物語の重要な役割を果たしている。かつて“ひとりっ子政策”と呼ばれた人口抑制策は、結果として社会の年齢の分布をアンバランスなものにしてしまった。経済が加速する一方で、都市と農村部の格差は広がっていき、出稼ぎに出る大人、取り残されたり、別の家族に預けられる子どもが増えていく。

『卵と石』『フーリッシュ・バード』も共に主人公は親と離れて暮らしているが、これは当時の中国で問題になっていた“留守児童”と呼ばれる現象が背景にある。『石門』の主人公は20歳で独立して暮らしているが、彼女もまた社会から“はじき飛ばされた”状態だ。無気力なわけではない。やりたいこともあるし、夢も持っている。なのに、日常は同じことの繰り返しで、理不尽な抑圧やイジメがあり、そこからの出口を見つけ出すことができない。

一方で、主人公の周囲の人間は驚くほど自分勝手で、いつも金の話ばかりしている。出稼ぎに出ている両親はそっけなく、周囲の大人たちは誰がどんな方法で金を儲けたか? という話ばかりしていて、そこには羨望と容赦のない嫉妬が渦巻いている。

そんな環境に晒され続ける子どもたちも自然と”金”が価値の主要な尺度になっており、いつも同じ額の小遣いをくれる祖父に「物価は上がっている」と嘆き、誰に教わったのか盗んだものは“誰かに売れば良い”と思ってしまう。最新作『石門』では、親の賠償金の代わりに主人公は“現在、身ごもっている子”を差し出すことを思いつく。

社会は驚異的なスピードで変化していき、人々のモラルや欲望も変化し、加速していく。その過程で必ず取り残されたり、“はじかれた”者が存在する。彼らはインターネットカフェやスマートフォンで心の隙間を一時的に埋めようとするが、その効果がほぼ無に等しいことは我々もよく知っているのではないだろうか?

最新作『石門』でも主人公リンは、画面の中心にいるのにずっと“孤独”な状態だ。望まない妊娠をした彼女は社会からはじき飛ばされ、彼女に手を差し伸べる人間はいない。それでも彼女はもがき、生きようとする。ヤオ・ホングイの圧倒的な存在感と痛切なまでの孤独感は、3作品を通じて増していき、観客の胸に迫ってくる。

“痛み”を通じて身体と性を描く

『卵と石』『フーリッシュ・バード』『石門』はすべて“女性の身体/性”に関する描写が登場する。主人公が女性で、14歳から20歳と身体が大きく成長・変化する年代を描いていることもあり、彼女たちはさまざまな状況に戸惑い、時に苦しめられる。

どの作品にも“妊娠”に関する問題が描かれる。10代の女性は社会的にはまだ弱い立場でありながら、時に男性や大人の好奇な目に晒され、時に危険や被害がその身体に迫る。ホアン・ジーと大塚竜治はそれらの描写を決してセンセーショナルに描いたり、物語のためのパーツとして使用しないが、この問題から決して目を背けない。

驚くべきは、3作品とも主人公の苦しみを抽象的な表現や、心の痛みでだけでなく“フィジカルな変化と痛み”として描いていることだ。そもそもカメラは人間の心を映すことできない。その上、映画では人間の“身体的な痛み”が描かれることが少ない。映画で描かれるあらゆる格闘や銃撃戦は、まるで“痛みの表現”を避けるかのごとく進んでいき、敵はあっさりと倒れるか、攻撃を喰らっても一瞬で立ち上がる。もしかしたら、映画で“身体の痛み”を描くことは難しいのかもしれない。

にも関わらず、両監督とヤオ・ホングイが手がける3作品では“身体の痛み”が描かれる。生理の時期になると身体に痛みがあり、病気にかかることで身体に異変を感じる。『石門』では主人公は妊娠し、体内に違和感をおぼえ、倦怠感や疲労に包まれ、産後も痛みが彼女を襲う。

『卵と石』『フーリッシュ・バード』『石門』は女性の受ける苦痛や理不尽な仕打ちを、精神的、そして身体的な痛みとして描いている。痛みはここにある。そして自分の意志とは無関係に身体は変化していく。その切実さはすべての観客に伝わるはずだ。

『石門』は、同一の監督と主演女優の長年にわたるコラボレーションの“結晶”のような作品になった。その完成度の高さと純度が、世界の観客の心を揺さぶり続けている。

『石門』
2月28日(金)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋ほか全国順次公開
https://stonewalling.jp
©YGP-FILM

『卵と石』『フーリッシュ・バード』
2025年春、UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開

『卵と石』©️YELLOW-GREEN PI
『フーリッシュ・バード』©YELLOW-GREEN PI・COOLIE FILMS