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“罠”の先には何が待つ? 『トラップ』の“深掘り”ポイント

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M・ナイト・シャマラン監督の新作映画『トラップ』が公開されている。本作はこれまでのシャマラン映画の要素が凝縮して詰め込まれた作品であり、これまでになかった要素も盛り込まれた意欲作でもある。結末まで観ると、もう一度最初から観返したくなるのがシャマラン映画。そこで本作をさらに深く楽しめるポイントをいくつか紹介する。

※以降、映画『トラップ』の後半に関する内容が記載されています。映画を観た後にお読みください。

本作の“主人公”は誰なのか?

シャマラン監督は長いキャリアの中で様々な作品を手がけ、基本的には物語が一直線に進んでいくシンプルなドラマを描いてきた。『シックス・センス』のように主人公がコンビを組む(霊が見える少年と精神科医)場合もあれば、単独の場合も、複数のドラマが同時進行する(『オールド』)場合もあるが、時制の入れ替えや、複雑な構成になることはない。観客は主人公の目を通して物語を見ていき、最後に“そもそもの前提”がひっくり返されたり、巧妙に張り巡らされていた伏線が回収されてサプライズが描かれる。

ところが『トラップ』は、これまでのシャマラン映画にはない魅力的な構成の作品になった。本作の冒頭に登場するのは、“優しい父親”の顔を持つ切り裂き魔クーパーだ。彼は娘と共に訪れたライブ会場が、自身を捕えるための壮大な“罠=トラップ”だと知り、脱出を目論む。

ライブを楽しんでいる娘には「トイレに行ってくる」と嘘をつき、ロビーや売店を歩き回り、係員からIDカードを盗んで従業員ドアの中へ。警官の無線を奪い、情報を収集しながら、監視カメラの位置を確認し……クーパーの行動は『ダイ・ハード』でナカトミビルの中をひとりぼっちで動き回るジョン・マクレーンのようだ。

その後もクーパーは警官を撹乱するために売店のフライヤーに仕掛けを施したり、屋上で警官に遭遇し、とっさの判断で難を逃れたりする。観客は恐ろしい切り裂き魔を“主人公”のように見守り、共にドキドキしながら脱出を画策する。

しかし、クーパーがある“秘策”によってアリーナを脱出した瞬間、映画のトーンが一変する。カメラはクーパーでも、彼の娘でもなく、共にアリーナを出た歌姫レディ・レイヴンの一挙手一投足を捉えるようになり、彼女がクーパーの家のトイレに逃げ込むと、カメラはドアを開けようとするクーパーではなく、個室の中にいるレディ・レイヴンの姿を描くのだ。

映画『トラップ』のサプライズのひとつは、ステージの上で華やかに歌っていたレディ・レイヴンが前面に出てきて、主人公だったはずのクーパーと視点を分け合うことだ。レディ・レイヴンを演じたのは、監督の娘で音楽家でもあるサレカ・シャマラン。彼女は本作のために劇中音楽を書き、ステージ上で本格的なパフォーマンスを繰り広げているが、あるタイミングで“先ほどまでフレームの奥で歌い踊っていたキャラクター”だったレディ・レイヴンがフレームの中心に据えられ“物語を語る眼”になるのだ。

アルフレッド・ヒッチコック監督の名作『サイコ』を思い出した人もいるかもしれない。あの映画では前半、マリオンという女性の物語が描かれるが、中盤で突如として彼女は退場し、後半はマリオンの妹が物語を進めていく。観客はずっとマリオンが主人公だと思い込んでいたのに急に予想外のことが起こる。

『トラップ』も物語の途中で主人公だと思っていたクーパーが急に“襲ってくる相手”に変化し、クライマックスでは再びクーパーがスクリーンの中心に躍り出てくる。単一の主人公でも群像劇でもなく、主役のバトンが予想外の動きでパスされていくような不思議な感覚。

『トラップ』が他にないシャマラン映画になっているのは、この“視点の急激な切り替え”がポイントではないだろうか。

ステージと客席。本作に流れる“複数の時間”

本作は厳密ではないが「罠にかかったクーパーの脱出劇」と「レディ・レイヴンのステージ」が同時進行している。クーパーがロビーで行動しているときも、従業員しか入ることのできないエリアで活動しているときも、ステージからの音楽やアリーナを埋め尽くす歓声が漏れ聞こえてくる。

シャマランは本作について「私と娘のサレカが音楽と映画について語り合っていたときに生まれた。元々は、スリラーとしても成立するような音楽映画を一緒に作ろうと考え始めたんだ。サレカがアルバムを作って、コンサートでパフォーマンスするように、音楽とスリラー映画を融合させて作品にできると思ったんだ。そのふたつを共存させることはできないだろうか? 私はそう考え、サレカに提案した」と振り返る。

本作において、クーパーの物語=スリラーと、レディ・レイヴンのステージ=音楽は“共存”関係にある。スリラーの背景としてコンサートがあるのではなく、ライブはライブとして完成されたものがあり、独自の時間を刻んでいる。

サレカ・シャマランは「私たちは基本的にはスタジアムツアーと同じ準備をした。細部に至るまで完璧に準備した。曲、振り付け、衣装、フルスクリーン、すべての転換、複数のセット。そのために多くの時間を費やした。通常の映画の美術ではなかった」と振り返る。

劇中のライブは本当にアリーナで行われても良い状態で準備され、物語の展開とシンクロする楽曲が制作された。さらに劇中には時折り、クーパーの回想がフラッシュバックのように出現し、時間が急に“今ここ”ではなく“切り裂き魔を生み出すことになった過去”へと遡る。

本作では異なる要素が同じ建物の中で同時に起こり、それは並行して進みながら時に交差し、時にシンクロしていく。スリラーであり、音楽映画でもある。この挑戦が『トラップ』に独自のテイストを与えている。

本作は2度目が面白い! リピート観賞ポイント

切り裂き魔クーパーは、これまでのスリラー、サスペンス映画に登場する悪役や犯罪者とは違った魅力のあるキャラクターだ。彼は恐ろしい男で、自分のアジトに男を監禁しているが、見るからに邪悪そうな表情を浮かべることもなければ、ステレオタイプな犯人像を見せることもない。見た目は穏やかな“家族を愛する消防士の男性”だ。しかし、その内面に異なる一面を抱えている。

クーパーを演じたジョシュ・ハートネットは「この映画はこのキャラクターの視点を中心に作られていて、このキャラクターのコンセプトはナイトが執念を持って探求したものなんだ。だからクーパーをできるだけ魅力的に奥深いキャラクターにしなければならなかった。演じるのはとても難しいが、面白いキャラクターだ。描き方が一方に偏ってしまうと、観客からの好意を失いかねないし、あるいは、危険な緊張感を失いかねない。本当に綱渡りのような繊細なバランス感覚での演技が必要だった」と振り返る。

これまで様々な物語で繰り返し犯罪者が描かれてきた。切り裂き魔も出てきた。でも、クーパーは何かが違う。見たことがない。シャマラン映画はいつもヒーローやドラマの“定型”をアレンジしてまったく新しいドラマを描く。かつて彼は筆者とのインタビューでこう語った。

「私の作品には特徴があります。それはすでに存在する超現実的な神話の上で、さらに自分の考えた新しい超現実的な神話を語ることです。エイリアンやゴーストやヴァンパイアは、劇場に来る前から観客が知っている神話ですよね? 私はその上で、さらに新しい神話を作り出して語りたいのです」

シャマラン映画はいつも“すでにある定型”に“観たことのない中身”を盛り込む。本作では“優しいお父さん”に“恐ろしい切り裂き魔”が潜んでおり、物語が進んでいくと彼は“親子関係に何かしらの過去を抱えた子”であることが見えてくる。

クーパーは主人公であって、犯罪者として分析したり探究される対象であって、最後には「これはシリーズ化もあるのか?」と思ってしまうようなダークヒーローでもある。この主人公像の探究、シャマランが描こうとしている“新たな神話”を見つけ出すことが、『トラップ』をより深く楽しむポイントではないだろうか。

私たちは本当にクーパーをより深く観ることができただろうか? リピート観賞時にはここがポイントになる。

ジョシュ・ハートネットは本作について「この映画の核心は、父と娘の愛の物語であり、お互いがお互いをどれほど大切に思っているかという物語だと思う」と語り、娘サレカは父M・ナイトについて「彼のダークなストーリーの中には、彼の本来のポジティブさがある。彼が世界は良いものだと考えていることが分かる。それは彼の作品の多くで重要なテーマになっている。本作もその一例だと思う」と分析する。

これらの言葉を頭の片隅に置いて『トラップ』をもう一度観ると、後半のクーパーの姿が違って見えてくる。彼は単に狡猾な切り裂き魔だったのか? まだまだ本作について深く考えたり、予想する余地があるのではないだろうか。

『トラップ』
10月25日(金)公開
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