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観客を“その瞬間”に連れていく。ノーランが『オッペンハイマー』で描きたかったもの

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第96回アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む最多7部門受賞に輝いたクリストファー・ノーラン監督の最新作『オッペンハイマー』がついに公開された。日本では他の地域よりも遅れての公開になったため、本作を待ちわびていた映画ファンは多いが、一度、劇場に足を運ぶと、再びスクリーンの前に戻ってきたくなるだろう。

なぜ『オッペンハイマー』は繰り返し観たくなるのか?

本作の上映時間は180分。近年、大作映画の上映時間は長くなっているが、本作も“短い映画”でないことは確かだ。しかし、本作は長さを感じさせない語り口と、これだけの上映時間が必要だと納得してしまうだけの物語が用意されている。

劇中ではオッペンハイマーの学生時代から50代までが描かれ、時に時系列がゆるやかに組み替えられながら、彼が出会った人々、歴史を永遠に変えてしまうほどの発見とその顛末、時代の波に翻弄される様、彼の私生活が次々に描かれる。

その情報量は膨大で、登場人物も通常のエンタメ映画より圧倒的に多い。もちろん、ノーラン監督は脚本、キャスティング、演出で観客が自然に物語に入り込めるようにしているが、すでに公開された地域では、映画館で最後まで観た後、気になる部分を本や資料で確認して改めて映画館に足を運ぶ人が多いようだ。さらに本作はこれまでのノーラン作品同様、結末まで知った上で観ると初見とはシーンや展開、キャラクターの表情がかなり違って見える場面がたくさんある。

ポイントは、180分の間に語りが停滞したり、見通しの悪くなる時間帯がまったくないことだ。壮大なドラマを描く『オッペンハイマー』は撮影された素材も膨大なものになったが、『ミッドサマー』や『TENET テネット』なども手がける編集者ジェニファー・レイムによってスピード感のある語り口で編集が行われた(レイムは本作の手腕により第96回アカデミー賞で見事編集賞を受賞している)。

第96回アカデミー賞授賞式でプレゼンターのアーノルド・シュワルツェネッガー、ダニー・デビートからオスカー像を手渡され興奮気味のレイム

本作ではカーチェイスや大規模な飛行シーンは登場しない。しかし、シーンが次から次へと目まぐるしく展開し、空中ブランコのように物語のバトンが次から次へと渡って進んでいく。レイムは可能な限り“ひとつのショットに長居しない”よう努めたという。

「そうした動きがなければ、映画は重いものになりかねません。私たちが作っているのは巨大な本に基づく巨大なトピックを扱った3時間の映画なのですから。ペースが問題だったのです」

レイムが「正直なところ、初期の編集に対して多くの人は“早すぎる”と感じたようです。その段階では3時間をかなり超えていたので驚きました。どうやって急かされているように感じず、しかも4時間を超えないようにするかが挑戦でした」と語る『オッペンハイマー』のファイナル・カットは180分。“体感時間”は実際の上映時間より圧倒的に短いことを保証する。

私たちの時代は“ここ”から始まった

さらに本作を観ると、ここで描かれている時間だけでなく、“その後”の世界や時間について想いを馳せ、再び映画館に戻りたくなる人も出てきそうだ。

物理学を研究していたオッペンハイマーは、第二次世界大戦中、極秘プロジェクト「マンハッタン計画」に参加し、自らの研究成果を活用して原子爆弾の開発に加わる。ナチスドイツも原子爆弾の開発に着手しているとの情報が入り、オッペンハイマーたちの研究も熱を帯びていく。結果は多くの人が知るとおりで、アメリカは原子爆弾の開発を成功させ、1945年に第二次世界大戦は終結した。

オッペンハイマーと、彼をマンハッタン計画に引き込んだ将校レズリー・グローヴス。上の写真は実際のふたり。下はそれを演じたキリアン・マーフィーとマット・デイモン

しかし、そこですべてが終わらなかった。各国は引き続き核開発競争を続け、人々は核の恐怖を感じながら生きることになった。もし、次の世界大戦が起これば、地球は完全に破滅するだろう。多くの人がそう思い、この技術がもはや“戦争のための武器”では済まされないことを認識した。ミロシュ・フォアマン監督の映画『ラグタイム』の原作者でもある作家エドガー・ローレンス・ドクトロウはこう言った。

「我々は1945年以来、心の中に爆弾を抱えている」

ドクトロウの語る“我々”には当然ながら、これを読んでいるあなたも含まれる。今も世界中に核兵器は存在し、核の力によって恩恵を受ける一方で、完全な制御や廃棄に関して人類は最高の方法をいまだに導き出せていない。

映画『オッペンハイマー』は人類の歴史の中にあったいくつかの“大きな転換点”のひとつを描いている。彼だけが世界を変えたとは言わないが、歴史が変わった瞬間にオッペンハイマーはいた。そして、“その後の世界”は今も続いている。

映画館で繰り返し観ることで、スクリーンの中で流れる時間と私たちの生きる時間は何度も重なり、交差することだろう。

大スクリーンを駆使して“見えないもの”を描く

映画はレンズを通して獲得したビジュアルを積み重ねて描かれるメディアだ。よって、レンズに映らないものは映画では描かれない。多くの人が行ったことのない秘境は描けるが、人間の心は映せない。心はカメラには映らないからだ。

クリストファー・ノーランは小説家や画家ではなく、映画監督として活動してきた人物で、そのキャリアは常に“ビジュアルを駆使して語る”ことに費やされてきた。時に物語を語る時間はバラバラにされて組み替えられ、現実にはありえない“時間の逆行”が描かれ、IMAXの巨大なスクリーンに架空の都市ゴッサムが登場し、歴史の本でしか読んだことのないダンケルクの戦場が克明に映像化される。

まだ誰も観たことのないものですら、ノーランは想像力を駆使して“ビジュアル”にしてしまう。人間の夢の中、人間の無意識の領域は誰も観たことがない。しかし、『インセプション』ではそんな世界が高層ビル群が折れ曲がって迫ってくるビジュアルとして表現される。人類未到の宇宙の果てにある巨大なブラックホールに接近したときに人はどんな光景を目撃するのか? 誰も観たことはない。しかし彼は『インターステラー』でそんな景色を見事に描いてしまう。

どんな世界も、どんな時空間も、目で見えるもの、スクリーンに描けるものにしてしまう。ノーランは映画でできること、映画でしかできないことに挑んできた監督だ。

『オッペンハイマー』にもそのポリシーが引き継がれている。劇中ではマンハッタン計画での実験が再現され、その光景を“間近”で観ることができる。オッペンハイマーの頭の中に浮かぶ量子世界のイメージもビジュアル化される。それはどんなアクション映画やSF作品よりも鮮烈で、多くの観客を圧倒するだろう。

その一方で、本作についてノーラン監督はこう語っている。

「オッペンハイマーの物語は、我々の前にある最も壮大な物語のひとつだ。逆説と倫理的なジレンマに満ちていて、私がずっと関心を抱き続けてきた類の素材なんだ。映画は、なぜ彼らがこんなことをしたのか人々に理解させると同時に、それを“すべき”だったのかどうかを問う」

繰り返しになるが、映画は見えないものは映せない。逆説もジレンマもスクリーンには映らない。しかし、本作でノーラン監督は目に見えない逆説やジレンマを描き出そうとする。劇中でオッペンハイマーは、原子爆弾の開発中にある可能性を発見する。

「トリニティ実験の下準備中に、オッペンハイマーとそのチームは非常に小さな可能性を目にしていた。彼らがこの最初の爆弾のボタンを押して起動させたら、連鎖反応が起きて地球の大気を焼き、地球を破壊するかもしれない。いかに小さくても、その可能性を完全に排除することができる数学的、理論的根拠は存在しない。それでも彼らはボタンを押した。私は観客をその部屋に連れ込み、その会話が交わされるときに、ボタンが押されるときに、立ち会ってもらいたかった」

この瞬間、客席のあなたは何を感じるだろう? オッペンハイマーは何を感じていただろう。当然ながら、どちらもビジュアルにはならない。しかし、そこには葛藤や恐怖、知的好奇心、不安、重圧が確かに存在するはずだ。このボタンを押せば、世界は永遠に変わってしまう。その瞬間。

ノーラン監督が本作で最も描きたかったもの、それは観客であるあなたを“その瞬間”に連れていくことだ。オッペンハイマーだけでなく、映画を観るあなたも試される。何度も劇場に足を運び、繰り返し“その瞬間”に立ち会う観客は今後も増え続けるだろう。

『オッペンハイマー』
公開中
公式サイトhttps://www.oppenheimermovie.jp/
(C)Universal Pictures. All Rights Reserved.
Photo:AFLO